間《どま》で大釜《おほがま》の下《した》を焚《た》いて居《ゐ》ました。番頭《ばんとう》は帳場《ちやうば》に青《あを》い顏《かほ》をして居《ゐ》ました。が、無論《むろん》、自分《じぶん》たちが其《そ》の使《つかひ》に出《で》ようとは怪我《けが》にも言《い》はないのでありました。
二
「何《ど》う成《な》るのだらう……とにかくこれは尋常事《たゞごと》ぢやない。」
私《わたし》は幾度《いくたび》となく雪《ゆき》に轉《ころ》び、風《かぜ》に倒《たふ》れながら思《おも》つたのであります。
「天狗《てんぐ》の爲《な》す業《わざ》だ、――魔《ま》の業《わざ》だ。」
何《なに》しろ可恐《おそろし》い大《おほき》な手《て》が、白《しろ》い指紋《しもん》の大渦《おほうづ》を卷《ま》いて居《ゐ》るのだと思《おも》ひました。
いのちとりの吹雪《ふゞき》の中《なか》に――
最後《さいご》に倒《たふ》れたのは一《ひと》つの雪《ゆき》の丘《をか》です。――然《さ》うは言《い》つても、小高《こだか》い場所《ばしよ》に雪《ゆき》が積《つも》つたのではありません、粉雪《こゆき》の吹溜《ふきだま》りがこんもりと積《つも》つたのを、哄《どつ》と吹《ふ》く風《かぜ》が根《ね》こそぎに其《そ》の吹《ふ》く方《はう》へ吹飛《ふきと》ばして運《はこ》ぶのであります。一《ひと》つ二《ふた》つの數《すう》ではない。波《なみ》の重《かさな》るやうな、幾《いく》つも幾《いく》つも、颯《さつ》と吹《ふ》いて、むら/\と位置《ゐち》を亂《みだ》して、八方《はつぱう》へ高《たか》く成《な》ります。
私《わたし》は最《も》う、それまでに、幾度《いくたび》も其《そ》の渦《うづ》にくる/\と卷《ま》かれて、大《おほき》な水《みづ》の輪《わ》に、孑孑蟲《ぼうふらむし》が引《ひつ》くりかへるやうな形《かたち》で、取《と》つては投《な》げられ、掴《つか》んでは倒《たふ》され、捲《ま》き上《あ》げては倒《たふ》されました。
私《わたし》は――白晝《はくちう》、北海《ほくかい》の荒波《あらなみ》の上《うへ》で起《おこ》る處《ところ》の此《こ》の吹雪《ふゞき》の渦《うづ》を見《み》た事《こと》があります。――一度《いちど》は、たとへば、敦賀灣《つるがわん》でありました――繪《ゑ》にかいた雨龍《あまりよう》のぐる/\と輪《わ》を卷《ま》いて、一條《ひとすぢ》、ゆつたりと尾《を》を下《した》に垂《た》れたやうな形《かたち》のものが、降《ふ》りしきり、吹煽《ふきあふ》つて空中《くうちう》に薄黒《うすぐろ》い列《れつ》を造《つく》ります。
見《み》て居《ゐ》るうちに、其《そ》の一《ひと》つが、ぱつと消《き》えるかと思《おも》ふと、忽《たちま》ち、ぽつと、續《つゞ》いて同《おな》じ形《かたち》が顯《あらは》れます。消《き》えるのではない、幽《かすか》に見《み》える若狹《わかさ》の岬《みさき》へ矢《や》の如《ごと》く白《しろ》く成《な》つて飛《と》ぶのです。一《ひと》つ一《ひと》つが皆《み》な然《さ》うでした。――吹雪《ふゞき》の渦《うづ》は湧《わ》いては飛《と》び、湧《わ》いては飛《と》びます。
私《わたし》の耳《みゝ》を打《う》ち、鼻《はな》を捩《ね》ぢつゝ、いま、其《そ》の渦《うづ》が乘《の》つては飛《と》び、掠《かす》めては走《はし》るんです。
大波《おほなみ》に漂《たゞよ》ふ小舟《こぶね》は、宙天《ちうてん》に搖上《ゆすりあげ》らるゝ時《とき》は、唯《たゞ》波《なみ》ばかり、白《しろ》き黒《くろ》き雲《くも》の一片《いつぺん》をも見《み》ず、奈落《ならく》に揉落《もみおと》さるゝ時《とき》は、海底《かいてい》の巖《いは》の根《ね》なる藻《も》の、紅《あか》き碧《あを》きをさへ見《み》ると言《い》ひます。
風《かぜ》の一息《ひといき》死《し》ぬ、眞空《しんくう》の一瞬時《いつしゆんじ》には、町《まち》も、屋根《やね》も、軒下《のきした》の流《ながれ》も、其《そ》の屋根《やね》を壓《あつ》して果《はて》しなく十重《とへ》二十重《はたへ》に高《たか》く聳《た》ち、遙《はるか》に連《つらな》る雪《ゆき》の山脈《さんみやく》も、旅籠《はたご》の炬燵《こたつ》も、釜《かま》も、釜《かま》の下《した》なる火《ひ》も、果《はて》は虎杖《いたどり》の家《いへ》、お米《よね》さんの薄色《うすいろ》の袖《そで》、紫陽花《あぢさゐ》、紫《むらさき》の花《はな》も……お米《よね》さんの素足《すあし》さへ、きつぱりと見《み》えました。が、脈《みやく》を打《う》つて吹雪《ふゞき》が來《く》ると、呼吸《こきふ》は咽《むせ》んで、目《め》は盲《めしひ》のやうに成《な》るのでありました。
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