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「雪《ゆき》やこんこ、
 霰《あられ》やこんこ。」
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 大雪《おほゆき》です――が、停車場前《ステエシヨンまへ》の茶店《ちやみせ》では、まだ小兒《せうに》たちの、そんな聲《こゑ》が聞《きこ》えて居《ゐ》ました。其《そ》の時分《じぶん》は、山《やま》の根笹《ねざさ》を吹《ふ》くやうに、風《かぜ》もさら/\と鳴《な》りましたつけ。町《まち》へ入《はひ》るまでに日《ひ》もとつぷりと暮果《くれは》てますと、
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「爺《ぢい》さイのウ婆《ばゞ》さイのウ、
 綿雪《わたゆき》小雪《こゆき》が降《ふ》るわいのウ、
 雨戸《あまど》も小窓《こまど》もしめさつし。」
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 と寂《さび》しい侘《わび》しい唄《うた》の聲《こゑ》――雪《ゆき》も、小兒《こども》が爺婆《ぢいばあ》に化《ば》けました。――風《かぜ》も次第《しだい》に、ぐわう/\と樹《き》ながら山《やま》を搖《ゆす》りました。
 店屋《みせや》さへ最《も》う戸《と》が閉《しま》る。……旅籠屋《はたごや》も門《もん》を閉《とざ》しました。
 家名《いへな》も何《なに》も構《かま》はず、いま其家《そこ》も閉《し》めようとする一|軒《けん》の旅籠屋《はたごや》へ駈込《かけこ》みましたのですから、場所《ばしよ》は町《まち》の目貫《めぬき》の向《むき》へは遠《とほ》いけれど、鎭守《ちんじゆ》の方《はう》へは近《ちか》かつたのです。
 座敷《ざしき》は二階《にかい》で、だゞつ廣《ぴろ》い、人氣《にんき》の少《すく》ないさみしい家《いへ》で、夕餉《ゆふげ》もさびしうございました。
 若狹鰈《わかさがれひ》――大《だい》すきですが、其《それ》が附木《つけぎ》のやうに凍《こほ》つて居《ゐ》ます――白子魚乾《しらすぼし》、切干大根《きりぼしだいこ》の酢《す》、椀《わん》はまた白子魚乾《しらすぼし》に、とろゝ昆布《こぶ》の吸《すひ》もの――しかし、何《なん》となく可懷《なつかし》くつて涙《なみだ》ぐまるゝやうでした、何故《なぜ》ですか。……
 酒《さけ》も呼《よ》んだが醉《よ》ひません。むかしの事《こと》を考《かんが》へると、病苦《びやうく》を救《すく》はれたお米《よね》さんに對《たい》して、生意氣《なまいき》らしく恥《はづ》かしい。
 兩手《りやうて》を炬燵《こたつ》にさして、俯向《うつむ》いて居《ゐ》ました、濡《ぬ》れるやうに涙《なみだ》が出《で》ます。
 さつと言《い》ふ吹雪《ふゞき》であります。さつと吹《ふ》くあとを、ぐわうーと鳴《な》る。……次第《しだい》に家《いへ》ごと搖《ゆす》るほどに成《な》りましたのに、何《なん》と言《い》ふ寂寞《さびしさ》だか、あの、ひつそりと障子《しやうじ》の鳴《な》る音《おと》。カタ/\カタ、白《しろ》い魔《ま》が忍《しの》んで來《く》る、雪入道《ゆきにふだう》が透見《すきみ》する。カタ/\/\カタ、さーツ、さーツ、ぐわう/\と吹《ふ》くなかに――見《み》る/\うちに障子《しやうじ》の棧《さん》がパツ/\と白《しろ》く成《な》ります、雨戸《あまど》の隙《すき》へ鳥《とり》の嘴程《くちばしほど》吹込《ふきこ》む雪《ゆき》です。
「大雪《おほゆき》の降《ふ》る夜《よ》など、町《まち》の路《みち》が絶《た》えますと、三日《みつか》も四日《よつか》も私《わたし》一人《ひとり》――」
 三|年以前《ねんいぜん》に逢《あ》つた時《とき》、……お米《よね》さんが言《い》つたのです。
    ……………………
「路《みち》の絶《た》える。大雪《おほゆき》の夜《よ》。」
 お米《よね》さんが、あの虎杖《いたどり》の里《さと》の、此《こ》の吹雪《ふゞき》に……
「……唯《たゞ》一人《ひとり》。」――
 私《わたし》は決然《けつぜん》として、身《み》ごしらへをしたのであります。
「電報《でんぱう》を――」
 と言《い》つて、旅宿《りよしゆく》を出《で》ました。
 實《じつ》はなくなりました父《ちゝ》が、其《そ》の危篤《きとく》の時《とき》、東京《とうきやう》から歸《かへ》りますのに、(タダイマココマデキマシタ)と此《こ》の町《まち》から發信《はつしん》した……偶《ふ》とそれを口實《こうじつ》に――時間《じかん》は遲《おそ》くはありませんが、目口《めくち》もあかない、此《こ》の吹雪《ふゞき》に、何《なん》と言《い》つて外《そと》へ出《で》ようと、放火《つけび》か強盜《がうたう》、人殺《ひとごろし》に疑《うたが》はれはしまいかと危《あやぶ》むまでに、さんざん思《おも》ひ惑《まど》つたあとです。
 ころ柿《がき》のやうな髮《かみ》を結《ゆ》つた霜《しも》げた女中《ぢよちう》が、雜炊《ざふすゐ》でもするのでせう――土
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