訊《たづ》ねました。
「三碧《さんぺき》なう。」
と尼《あま》さんが言《い》ひました。
「貴女《あなた》は?」
「私《わたし》は一《ひと》つ上《うへ》……」
「四緑《しろく》なう。」
と尼《あま》さんが又《また》言《い》ひました。
――略《りやく》して申《まを》すのですが、其處《そこ》へ案内《あんない》もなく、づか/\と入《はひ》つて來《き》て、立状《たちざま》に一寸《ちよつと》私《わたし》を尻目《しりめ》にかけて、爐《ろ》の左《ひだり》の座《ざ》についた一|人《にん》があります――山伏《やまぶし》か、隱者《いんじや》か、と思《おも》ふ風采《ふうさい》で、ものの鷹揚《おうやう》な、惡《わる》く言《い》へば傲慢《がうまん》な、下手《へた》が畫《ゑ》に描《か》いた、奧州《あうしう》めぐりの水戸《みと》の黄門《くわうもん》と言《い》つた、鼻《はな》の隆《たか》い、髯《ひげ》の白《しろ》い、早《は》や七十ばかりの老人《らうじん》でした。
「此《これ》は關《せき》さんか。」
と、いきなり言《い》ひます。私《わたし》は吃驚《びつくり》しました。
お米《よね》さんが、しなよく頷《うなづ》きますと、
「左樣《さやう》か。」
と言《い》つて、此《これ》から滔々《たふ/\》と辯《べん》じ出《だ》した。其《そ》の辯《べん》ずるのが都會《とくわい》に於《お》ける私《わたし》ども、なかま、なかまと申《まを》して私《わたし》などは、ものの數《かず》でもないのですが、立派《りつぱ》な、畫《ゑ》の畫伯方《せんせいがた》の名《な》を呼《よ》んで、片端《かたつぱし》から、奴《やつ》がと苦《にが》り、彼《あれ》め、と蔑《さげす》み、小僧《こぞう》、と呵々《から/\》と笑《わら》ひます。
私《わたし》は五六|尺《しやく》飛退《とびさが》つて叩頭《おじぎ》をしました。
「汽車《きしや》の時間《じかん》がございますから。」
お米《よね》さんが、送《おく》つて出《で》ました。花菜《はなな》の中《なか》を半《なかば》の時《とき》、私《わたし》は香《か》に咽《むせ》んで、涙《なみだ》ぐんだ聲《こゑ》して、
「お寂《さび》しくおいでなさいませう。」
と精一杯《せいいつぱい》に言《い》つたのです。
「いゝえ、兄《あに》が一緒《いつしよ》ですから……でも大雪《おほゆき》の夜《よ》なぞは、町《まち》から道《みち》が絶《た》えますと、こゝに私《わたし》一人《ひとり》きりで、五日《いつか》も六日《むいか》も暮《くら》しますよ。」
とほろりとしました。
「其《そ》のかはり夏《なつ》は涼《すゞ》しうございます。避暑《ひしよ》に行《い》らつしやい……お宿《やど》をしますよ。……其《そ》の時分《じぶん》には、降《ふ》るやうに螢《ほたる》が飛《と》んで、此《こ》の水《みづ》には菖蒲《あやめ》が咲《さ》きます。」
夜汽車《よぎしや》の火《ひ》の粉《こ》が、木《き》の芽峠《めたうげ》を螢《ほたる》に飛《と》んで、窓《まど》には其《そ》の菖蒲《あやめ》が咲《さ》いたのです――夢《ゆめ》のやうです。………あの老尼《らうに》は、お米《よね》さんの守護神《まもりがみ》――はてな、老人《らうじん》は、――知事《ちじ》の怨靈《をんりやう》ではなかつたか。
そんな事《こと》まで思《おも》ひました。
圓髷《まるまげ》に結《ゆ》つて、筒袖《こひぐち》を着《き》た人《ひと》を、しかし、其《その》二人《ふたり》は却《かへ》つて、お米《よね》さんを祕密《ひみつ》の霞《かすみ》に包《つゝ》みました。
三十路《みそぢ》を越《こ》えても、窶《やつ》れても、今《いま》も其《その》美《うつく》しさ。片田舍《かたゐなか》の虎杖《いたどり》になぞ世《よ》にある人《ひと》とは思《おも》はれません。
ために、音信《おとづれ》を怠《おこた》りました。夢《ゆめ》に所《ところ》がきをするやうですから。……とは言《い》へ、一《ひと》つは、日《ひ》に増《ま》し、不思議《ふしぎ》に色《いろ》の濃《こ》く成《な》る爐《ろ》の右左《みぎひだり》の人《ひと》を憚《はゞか》つたのであります。
音信《おとづれ》して、恩人《おんじん》に禮《れい》をいたすのに仔細《しさい》はない筈《はず》。雖然《けれども》、下世話《げせわ》にさへ言《い》ひます。慈悲《じひ》すれば、何《なん》とかする。……で、恩人《おんじん》と言《い》ふ、其《そ》の恩《おん》に乘《じやう》じ、情《なさけ》に附入《つけい》るやうな、賤《いや》しい、淺《あさ》ましい、卑劣《ひれつ》な、下司《げす》な、無禮《ぶれい》な思《おも》ひが、何《ど》うしても心《こゝろ》を離《はな》れないものですから、ひとり、自《みづか》ら憚《はゞか》られたのでありました。
私《わたし》は今《いま》、其處《そこ》へ――
五
「あゝ、彼處《あすこ》が鎭守《ちんじゆ》だ――」
吹雪《ふゞき》の中《なか》の、雪道《ゆきみち》に、白《しろ》く續《つゞ》いた其《そ》の宮《みや》を、さながら峰《みね》に築《きづ》いたやうに、高《たか》く朦朧《もうろう》と仰《あふ》ぎました。
「さあ、一息《ひといき》。」
が、其《そ》の息《いき》が吐《つ》けません。
眞俯向《まうつむ》けに行《ゆ》く重《おも》い風《かぜ》の中《なか》を、背後《うしろ》からスツと輕《かる》く襲《おそ》つて、裾《すそ》、頭《かしら》をどツと可恐《おそろし》いものが引包《ひきつゝ》むと思《おも》ふと、ハツとひき息《いき》に成《な》る時《とき》、さつと拔《ぬ》けて、目《め》の前《まへ》へ眞白《まつしろ》な大《おほき》な輪《わ》の影《かげ》が顯《あらは》れます。とくる/\と※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]《まは》るのです。※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]《まは》りながら輪《わ》を卷《ま》いて、卷《ま》き/\卷込《まきこ》めると見《み》ると、忽《たちま》ち凄《すさま》じい渦《うづ》に成《な》つて、ひゆうと鳴《な》りながら、舞上《まひあが》つて飛《と》んで行《ゆ》く。……行《ゆ》くと否《いな》や、續《つゞ》いて背後《うしろ》から卷《ま》いて來《き》ます。それが次第《しだい》に激《はげ》しく成《な》つて、六《む》ツ四《よ》ツ數《かぞ》へて七《なゝ》ツ八《や》ツ、身體《からだ》の前後《ぜんご》に列《れつ》を作《つく》つて、卷《ま》いては飛《と》び、卷《ま》いては飛《と》びます。巖《いは》にも山《やま》にも碎《くだ》けないで、皆《みな》北海《ほくかい》の荒波《あらなみ》の上《うへ》へ馳《はし》るのです。――最《も》う此《こ》の渦《うづ》がこんなに捲《ま》くやうに成《な》りましては堪《た》へられません。此《こ》の渦《うづ》の湧立《わきた》つ處《ところ》は、其《そ》の跡《あと》が穴《あな》に成《な》つて、其處《そこ》から雪《ゆき》の柱《はしら》、雪《ゆき》の人《ひと》、雪女《ゆきをんな》、雪坊主《ゆきばうず》、怪《あや》しい形《かたち》がぼツと立《た》ちます。立《た》つて倒《たふ》れるのが、其《その》まゝ雪《ゆき》の丘《をか》のやうに成《な》る……其《それ》が、右《みぎ》に成《な》り、左《ひだり》に成《な》り、横《よこ》に積《つも》り、縱《たて》に敷《し》きます。其《そ》の行《ゆ》く處《ところ》、飛《と》ぶ處《ところ》へ、人《ひと》のからだを持《も》つて行《い》つて、仰向《あをむ》けにも、俯向《うつむか》せにもたゝきつけるのです。
――雪難之碑《せつなんのひ》。――峰《みね》の尖《とが》つたやうな、其處《そこ》の大木《たいぼく》の杉《すぎ》の梢《こずゑ》を、睫毛《まつげ》にのせて倒《たふ》れました。私《わたし》は雪《ゆき》に埋《うも》れて行《ゆ》く………身動《みうご》きも出來《でき》ません。くひしばつても、閉《と》ぢても、目口《めくち》に浸《し》む粉雪《こゆき》を、しかし紫陽花《あぢさゐ》の青《あを》い花片《はなびら》を吸《す》ふやうに思《おも》ひました。
――「菖蒲《あやめ》が咲《さ》きます。」――
螢《ほたる》が飛《と》ぶ。
私《わたし》はお米《よね》さんの、清《きよ》く暖《あたゝか》き膚《はだ》を思《おも》ひながら、雪《ゆき》にむせんで叫《さけ》びました。
「魔《ま》が妨《さまた》げる、天狗《てんぐ》の業《わざ》だ――あの、尼《あま》さんか、怪《あや》しい隱士《いんし》か。」
底本:「鏡花全集 卷二十一」岩波書店
1941(昭和16)年9月30日第1刷発行
1975(昭和50)年7月2日第2刷発行
入力:土屋隆
校正:門田裕志
2005年11月1日作成
青空文庫作成ファイル:
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