や》、紅《べに》の麻《あさ》、……蚊《か》の酷《ひど》い處《ところ》ですが、お米《よね》さんの出入《ではひ》りには、はら/\と螢《ほたる》が添《そ》つて、手《て》を映《うつ》し、指環《ゆびわ》を映《うつ》し、胸《むね》の乳房《ちぶさ》を透《すか》して、浴衣《ゆかた》の染《そめ》の秋草《あきぐさ》は、女郎花《をみなへし》を黄《き》に、萩《はぎ》を紫《むらさき》に、色《いろ》あるまでに、蚊帳《かや》へ影《かげ》を宿《やど》しました。
「まあ、汗《あせ》びつしより。」
と汚《きたな》い病苦《びやうく》の冷汗《ひやあせ》に……そよ/\と風《かぜ》を惠《めぐ》まれた、淺葱色《あさぎいろ》の水團扇《みづうちは》に、幽《かすか》に月《つき》が映《さ》しました。……
大恩《だいおん》と申《まを》すは此《これ》なのです。――
おなじ年《とし》、冬《ふゆ》のはじめ、霜《しも》に緋葉《もみぢ》の散《ち》る道《みち》を、爽《さわやか》に故郷《こきやう》から引返《ひつかへ》して、再《ふたゝ》び上京《じやうきやう》したのでありますが、福井《ふくゐ》までには及《およ》びません、私《わたし》の故郷《こきやう》からは其《それ》から七|里《り》さきの、丸岡《まるをか》の建場《たてば》に俥《くるま》が休《やす》んだ時《とき》立合《たちあは》せた上下《じやうげ》の旅客《りよかく》の口々《くち/″\》から、もうお米《よね》さんの風説《うはさ》を聞《き》きました。
知事《ちじ》の妾《おもひもの》と成《な》つて、家《いへ》を出《で》たのは、其《そ》の秋《あき》だつたのでありました。
こゝはお察《さつ》しを願《ねが》ひます。――心易《こゝろやす》くは禮手紙《れいてがみ》、たゞ音信《おとづれ》さへ出來《でき》ますまい。
十六七|年《ねん》を過《す》ぎました。――唯今《たゞいま》の鯖江《さばえ》、鯖波《さばなみ》、今庄《いましやう》の驛《えき》が、例《れい》の音《おと》に聞《きこ》えた、中《なか》の河内《かはち》、木《き》の芽峠《めたうげ》、湯《ゆ》の尾峠《をたうげ》を、前後左右《ぜんごさいう》に、高《たか》く深《ふか》く貫《つらぬ》くのでありまして、汽車《きしや》は雲《くも》の上《うへ》を馳《はし》ります。
間《あひ》の宿《しゆく》で、世事《せじ》の用《よう》は聊《いさゝ》かもなかつたのでありますが、可懷《なつかしさ》の餘《あま》り、途中《とちう》で武生《たけふ》へ立寄《たちよ》りました。
内證《ないしよう》で……何《なん》となく顏《かほ》を見《み》られますやうで、ですから内證《ないしよう》で、其《そ》の蔦屋《つたや》へ參《まゐ》りました。
皐月《さつき》上旬《じやうじゆん》でありました。
三
門《かど》、背戸《せど》の清《きよ》き流《ながれ》、軒《のき》に高《たか》き二本柳《ふたもとやなぎ》、――其《そ》の青柳《あをやぎ》の葉《は》の繁茂《しげり》――こゝに彳《たゝず》み、あの背戸《せど》に團扇《うちは》を持《も》つた、其《そ》の姿《すがた》が思《おも》はれます。それは昔《むかし》のまゝだつたが、一棟《ひとむね》、西洋館《せいやうくわん》が別《べつ》に立《た》ち、帳場《ちやうば》も卓子《テエブル》を置《お》いた受附《うけつけ》に成《な》つて、蔦屋《つたや》の樣子《やうす》はかはつて居《ゐ》ました。
代替《だいがは》りに成《な》つたのです。――
少《すこ》しばかり、女中《ぢよちう》に心《こゝろ》づけも出來《でき》ましたので、それとなく、お米《よね》さんの消息《せうそく》を聞《き》きますと、蔦屋《つたや》も蔦龍館《てうりうくわん》と成《な》つた發展《はつてん》で、持《もち》の此《こ》の女中《ぢよちう》などは、京《きやう》の津《つ》から來《き》て居《ゐ》るのださうで、少《すこ》しも恩人《おんじん》の事《こと》を知《し》りません。
番頭《ばんとう》を呼《よ》んでもらつて訊《たづ》ねますと、――勿論《もちろん》其《そ》の頃《ころ》の男《をとこ》ではなかつたが――此《これ》はよく知《し》つて居《ゐ》ました。
蔦屋《つたや》は、若主人《わかしゆじん》――お米《よね》さんの兄《あに》――が相場《さうば》にかゝつて退轉《たいてん》をしたさうです。お米《よね》さんにまけない美人《びじん》をと言《い》つて、若主人《わかしゆじん》は、祇園《ぎをん》の藝妓《げいしや》をひかして女房《にようばう》にして居《ゐ》たさうでありますが、それも亡《な》くなりました。
知事《ちじ》――其《そ》の三|年前《ねんぜん》に亡《な》く成《な》つた事《こと》は、私《わたし》も新聞《しんぶん》で知《し》つて居《ゐ》たのです――其《そ》のいくらか手當《てあて》が殘《のこ》つたのだらうと思《おも》はれます。當時《たうじ》は町《まち》を離《はな》れた虎杖《いたどり》の里《さと》に、兄妹《きやうだい》がくらして、若主人《わかしゆじん》の方《はう》は、町中《まちなか》の或會社《あるくわいしや》へ勤《つと》めて居《ゐ》ると、此《こ》の由《よし》、番頭《ばんとう》が話《はな》してくれました。一昨年《いつさくねん》の事《こと》なのです。
――いま私《わたし》は、可恐《おそろし》い吹雪《ふゞき》の中《なか》を、其處《そこ》へ志《こゝろざ》して居《ゐ》るのであります――
が、さて、一昨年《いつさくねん》の其《そ》の時《とき》は、翌日《よくじつ》、半日《はんにち》、いや、午後《ごご》三|時頃《じごろ》まで、用《よう》もないのに、女中《ぢよちう》たちの蔭《かげ》で怪《あやし》む氣勢《けはひ》のするのが思《おも》ひ取《と》られるまで、腕組《うでぐみ》が、肘枕《ひぢまくら》で、やがて、夜具《やぐ》を引被《ひつかぶ》つてまで且《か》つ思《おも》ひ、且《か》つ惱《なや》み、幾度《いくたび》か逡巡《しゆんじゆん》した最後《さいご》に、旅館《りよくわん》をふら/\と成《な》つて、たうとう恩人《おんじん》を訪《たづ》ねに出《で》ました。
故《わざ》と途中《とちう》、餘所《よそ》で聞《き》いて、虎杖村《いたどりむら》に憧憬《あこが》れ行《ゆ》く。……
道《みち》は鎭守《ちんじゆ》がめあてでした。
白《しろ》い、靜《しづか》な、曇《くも》つた日《ひ》に、山吹《やまぶき》も色《いろ》が淺《あさ》い、小流《こながれ》に、苔蒸《こけむ》した石《いし》の橋《はし》が架《かゝ》つて、其《そ》の奧《おく》に大《おほ》きくはありませんが深《ふか》く神寂《かんさ》びた社《やしろ》があつて、大木《たいぼく》の杉《すぎ》がすら/\と杉《すぎ》なりに並《なら》んで居《ゐ》ます。入口《いりぐち》の石《いし》の鳥居《とりゐ》の左《ひだり》に、就中《とりわけ》暗《くら》く聳《そび》えた杉《すぎ》の下《もと》に、形《かたち》はつい通《とほ》りでありますが、雪難之碑《せつなんのひ》と刻《きざ》んだ、一|基《き》の石碑《せきひ》が見《み》えました。
雪《ゆき》の難《なん》――荷擔夫《にかつぎふ》、郵便配達《いうびんはいたつ》の人《ひと》たち、其《そ》の昔《むかし》は數多《あまた》の旅客《りよかく》も――此《これ》からさしかゝつて越《こ》えようとする峠路《たうげみち》で、屡々《しば/\》命《いのち》を殞《おと》したのでありますから、いづれ其《そ》の靈《れい》を祭《まつ》つたのであらう、と大空《おほぞら》の雲《くも》、重《かさな》る山《やま》、續《つゞ》く巓《いたゞき》、聳《そび》ゆる峰《みね》を見《み》るにつけて、凄《すさま》じき大濤《おほなみ》の雪《ゆき》の風情《ふぜい》を思《おも》ひながら、旅《たび》の心《こゝろ》も身《み》に沁《し》みて通過《とほりす》ぎました。
畷道《なはてみち》少《すこ》しばかり、菜種《なたね》の畦《あぜ》を入《はひ》つた處《ところ》に、志《こゝろざ》す庵《いほり》が見《み》えました。侘《わび》しい一軒家《いつけんや》の平屋《ひらや》ですが、門《かど》のかゝりに何《なん》となく、むかしの状《さま》を偲《しの》ばせます、萱葺《かやぶき》の屋根《やね》ではありません。
伸上《のびあが》る背戸《せど》に、柳《やなぎ》が霞《かす》んで、こゝにも細流《せゝらぎ》に山吹《やまぶき》の影《かげ》の映《うつ》るのが、繪《ゑ》に描《か》いた螢《ほたる》の光《ひかり》を幻《まぼろし》に見《み》るやうでありました。
夢《ゆめ》にばかり、現《うつゝ》にばかり、十|幾年《いくねん》。
不思議《ふしぎ》にこゝで逢《あ》ひました――面影《おもかげ》は、黒髮《くろかみ》に笄《かうがい》して、雪《ゆき》の裲襠《かいどり》した貴夫人《きふじん》のやうに遙《はるか》に思《おも》つたのとは全然《まるで》違《ちが》ひました。黒繻子《くろじゆす》の襟《えり》のかゝつた縞《しま》の小袖《こそで》に、些《ちつ》とすき切《ぎ》れのあるばかり、空色《そらいろ》の絹《きぬ》のおなじ襟《えり》のかゝつた筒袖《こひぐち》を、帶《おび》も見《み》えないくらゐ引合《ひきあは》せて、細《ほつそ》りと着《き》て居《ゐ》ました。
其《そ》の姿《すがた》で手《て》をつきました。あゝ、うつくしい白《しろ》い指《ゆび》、結立《ゆひた》ての品《ひん》のいゝ圓髷《まるまげ》の、情《なさけ》らしい柔順《すなほ》な髱《たぼ》の耳朶《みゝたぶ》かけて、雪《ゆき》なす項《うなじ》が優《やさ》しく清《きよ》らかに俯向《うつむ》いたのです。
生意氣《なまいき》に杖《ステツキ》を持《も》つて立《た》つて居《ゐ》るのが、目《め》くるめくばかりに思《おも》はれました。
「私《わたし》は……關《せき》……」
と名《な》を申《まを》して、
「蔦屋《つたや》さんのお孃《ぢやう》さんに、お目《め》にかゝりたくて參《まゐ》りました。」
「米《よね》は私《わたし》でございます。」
と顏《かほ》を上《あ》げて、清《すゞ》しい目《め》で熟《じつ》と視《み》ました。
私《わたし》の額《ひたひ》は汗《あせ》ばんだ。――あのいつか額《ひたひ》に置《お》かれた、手《て》の影《かげ》ばかり白《しろ》く映《うつ》る。
「まあ、關《せき》さん。――おとなにお成《な》りなさいました……」
此《これ》ですもの、可懷《なつかし》さはどんなでせう。
しかし、こゝで私《わたし》は初戀《はつこひ》、片《かた》おもひ、戀《こひ》の愚癡《ぐち》を言《い》ふのではありません。
……此《こ》の凄《すご》い吹雪《ふゞき》の夜《よ》、不思議《ふしぎ》な事《こと》に出《で》あひました、其《そ》のお話《はなし》をするのであります。
四
その時《とき》は、四疊半《かこひ》ではありません。が、爐《ろ》を切《き》つた茶《ちや》の室《ま》に通《とほ》されました。
時《とき》に、先客《せんきやく》が一人《ひとり》ありまして爐《ろ》の右《みぎ》に居《ゐ》ました。氣高《けだか》いばかり品《ひん》のいゝ年《とし》とつた尼《あま》さんです。失禮《しつれい》ながら、此《こ》の先客《せんきやく》は邪魔《じやま》でした。それがために、いとゞ拙《つたな》い口《くち》の、千《せん》の一《ひと》つも、何《なん》にも、ものが言《い》はれなかつたのであります。
「貴女《あなた》は煙草《たばこ》をあがりますか。」
私《わたし》はお米《よね》さんが、其《そ》の筒袖《こひぐち》の優《やさ》しい手《て》で、煙管《きせる》を持《も》つのを視《み》て然《さ》う言《い》ひました。
お米《よね》さんは、控《ひか》へて一寸《ちよつと》俯向《うつむ》きました。
「何事《なにごと》もわすれ草《ぐさ》と申《まを》しますな。」
と尼《あま》さんが、能《のう》の面《めん》がものを言《い》ふやうに言《い》ひました。
「關《せき》さんは、今年《ことし》三十五にお成《な》りですか。」
とお米《よね》さんが先《さき》へ數《かぞ》へて、私《わたし》の年《とし》を
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