つあると、見《み》て來《き》たやうな噂《うはさ》をしました。何故《なぜ》か、――地方《ゐなか》は分《わ》けて結婚期《けつこんき》が早《はや》いのに――二十六七まで縁《えん》に着《つ》かないで居《ゐ》たからです。
(しかし、……やがて知事《ちじ》の妾《おもひもの》に成《な》つた事《こと》は前《まへ》に一寸《ちよつと》申《まを》しました。)
私《わたし》はよく知《し》つて居《ゐ》ます――六本指《ろつぽんゆび》なぞと、氣《け》もない事《こと》です。確《たしか》に見《み》ました。しかも其《そ》の雪《ゆき》なす指《ゆび》は、摩耶夫人《まやぶにん》が召《め》す白《しろ》い細《ほそ》い花《はな》の手袋《てぶくろ》のやうに、正《まさ》に五瓣《ごべん》で、其《それ》が九死一生《きうしいつしやう》だつた私《わたし》の額《ひたひ》に密《そつ》と乘《の》り、輕《かる》く胸《むね》に掛《かゝ》つたのを、運命《うんめい》の星《ほし》を算《かぞ》へる如《ごと》く熟《じつ》と視《み》たのでありますから。――
また其《そ》の手《て》で、硝子杯《コツプ》の白雪《しらゆき》に、鷄卵《たまご》の蛋黄《きみ》を溶《と》かしたのを、甘露《かんろ》を灌《そゝ》ぐやうに飮《の》まされました。
ために私《わたし》は蘇返《よみがへ》りました。
「冷水《おひや》を下《くだ》さい。」
最《も》う、それが末期《まつご》だと思《おも》つて、水《みづ》を飮《の》んだ時《とき》だつたのです。
脚氣《かつけ》を煩《わづら》つて、衝心《しようしん》をしかけて居《ゐ》たのです。其《そ》のために東京《とうきやう》から故郷《くに》に歸《かへ》る途中《とちう》だつたのでありますが、汚《よご》れくさつた白絣《しろがすり》を一|枚《まい》きて、頭陀袋《づだぶくろ》のやうな革鞄《かばん》一《ひと》つ掛《か》けたのを、玄關《げんくわん》さきで斷《ことわ》られる處《ところ》を、泊《と》めてくれたのも、螢《ほたる》と紫陽花《あぢさゐ》が見透《みとほ》しの背戸《せど》に涼《すゞ》んで居《ゐ》た、其《そ》のお米《よね》さんの振向《ふりむ》いた瞳《め》の情《なさけ》だつたのです。
水《みづ》と言《い》へば、せい/″\米《こめ》の磨汁《とぎしる》でもくれさうな處《ところ》を、白雪《しらゆき》に蛋黄《きみ》の情《なさけ》。――萌黄《もえぎ》の蚊帳《か
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