》られた此《こ》の武生《たけふ》の中《うち》でも、其《そ》の隨一《ずゐいち》の旅館《りよくわん》の娘《むすめ》で、二十六の年《とし》に、其《そ》の頃《ころ》の近國《きんごく》の知事《ちじ》の妾《おもひもの》に成《な》りました……妾《めかけ》とこそ言《い》へ、情深《なさけぶか》く、優《やさし》いのを、昔《いにしへ》の國主《こくしゆ》の貴婦人《きふじん》、簾中《れんちう》のやうに稱《たゝ》へられたのが名《な》にしおふ中《なか》の河内《かはち》の山裾《やますそ》なる虎杖《いたどり》の里《さと》に、寂《さび》しく山家住居《やまがずまひ》をして居《ゐ》るのですから。此《こ》の大雪《おほゆき》の中《なか》に。
二
流《なが》るゝ水《みづ》とともに、武生《たけふ》は女《をんな》のうつくしい處《ところ》だと、昔《むかし》から人《ひと》が言《い》ふのであります。就中《なかんづく》、蔦屋《つたや》――其《そ》の旅館《りよくわん》の――お米《よね》さん(恩人《おんじん》の名《な》です)と言《い》へば、國々《くに/″\》評判《ひやうばん》なのでありました。
まだ汽車《きしや》の通《つう》じない時分《じぶん》の事《こと》。……
「昨夜《さくや》は何方《どちら》でお泊《とま》り。」
「武生《たけふ》でございます。」
「蔦屋《つたや》ですな、綺麗《きれい》な娘《むすめ》さんが居《ゐ》ます。勿論《もちろん》、御覽《ごらん》でせう。」
旅《たび》は道連《みちづれ》が、立場《たてば》でも、又《また》並木《なみき》でも、言《ことば》を掛合《かけあ》ふ中《うち》には、屹《きつ》と此《こ》の事《こと》がなければ納《をさ》まらなかつたほどであつたのです。
往來《ゆきき》に馴《な》れて、幾度《いくたび》も蔦屋《つたや》の客《きやく》と成《な》つて、心得顏《こゝろえがほ》をしたものは、お米《よね》さんの事《こと》を渾名《あだな》して、むつの花《はな》、むつの花《はな》、と言《い》ひました。――色《いろ》と言《い》ひ、また雪《ゆき》の越路《こしぢ》の雪《ゆき》ほどに、世《よ》に知《し》られたと申《まを》す意味《いみ》ではないので――此《これ》は後言《くりごと》であつたのです。……不具《かたは》だと言《い》ふのです。六本指《ろつぽんゆび》、手《て》の小指《こゆび》が左《ひだり》に二《ふた》
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