や》、紅《べに》の麻《あさ》、……蚊《か》の酷《ひど》い處《ところ》ですが、お米《よね》さんの出入《ではひ》りには、はら/\と螢《ほたる》が添《そ》つて、手《て》を映《うつ》し、指環《ゆびわ》を映《うつ》し、胸《むね》の乳房《ちぶさ》を透《すか》して、浴衣《ゆかた》の染《そめ》の秋草《あきぐさ》は、女郎花《をみなへし》を黄《き》に、萩《はぎ》を紫《むらさき》に、色《いろ》あるまでに、蚊帳《かや》へ影《かげ》を宿《やど》しました。
「まあ、汗《あせ》びつしより。」
 と汚《きたな》い病苦《びやうく》の冷汗《ひやあせ》に……そよ/\と風《かぜ》を惠《めぐ》まれた、淺葱色《あさぎいろ》の水團扇《みづうちは》に、幽《かすか》に月《つき》が映《さ》しました。……
 大恩《だいおん》と申《まを》すは此《これ》なのです。――
 おなじ年《とし》、冬《ふゆ》のはじめ、霜《しも》に緋葉《もみぢ》の散《ち》る道《みち》を、爽《さわやか》に故郷《こきやう》から引返《ひつかへ》して、再《ふたゝ》び上京《じやうきやう》したのでありますが、福井《ふくゐ》までには及《およ》びません、私《わたし》の故郷《こきやう》からは其《それ》から七|里《り》さきの、丸岡《まるをか》の建場《たてば》に俥《くるま》が休《やす》んだ時《とき》立合《たちあは》せた上下《じやうげ》の旅客《りよかく》の口々《くち/″\》から、もうお米《よね》さんの風説《うはさ》を聞《き》きました。
 知事《ちじ》の妾《おもひもの》と成《な》つて、家《いへ》を出《で》たのは、其《そ》の秋《あき》だつたのでありました。
 こゝはお察《さつ》しを願《ねが》ひます。――心易《こゝろやす》くは禮手紙《れいてがみ》、たゞ音信《おとづれ》さへ出來《でき》ますまい。
 十六七|年《ねん》を過《す》ぎました。――唯今《たゞいま》の鯖江《さばえ》、鯖波《さばなみ》、今庄《いましやう》の驛《えき》が、例《れい》の音《おと》に聞《きこ》えた、中《なか》の河内《かはち》、木《き》の芽峠《めたうげ》、湯《ゆ》の尾峠《をたうげ》を、前後左右《ぜんごさいう》に、高《たか》く深《ふか》く貫《つらぬ》くのでありまして、汽車《きしや》は雲《くも》の上《うへ》を馳《はし》ります。
 間《あひ》の宿《しゆく》で、世事《せじ》の用《よう》は聊《いさゝ》かもなかつたのでありますが、
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