可懷《なつかしさ》の餘《あま》り、途中《とちう》で武生《たけふ》へ立寄《たちよ》りました。
内證《ないしよう》で……何《なん》となく顏《かほ》を見《み》られますやうで、ですから内證《ないしよう》で、其《そ》の蔦屋《つたや》へ參《まゐ》りました。
皐月《さつき》上旬《じやうじゆん》でありました。
三
門《かど》、背戸《せど》の清《きよ》き流《ながれ》、軒《のき》に高《たか》き二本柳《ふたもとやなぎ》、――其《そ》の青柳《あをやぎ》の葉《は》の繁茂《しげり》――こゝに彳《たゝず》み、あの背戸《せど》に團扇《うちは》を持《も》つた、其《そ》の姿《すがた》が思《おも》はれます。それは昔《むかし》のまゝだつたが、一棟《ひとむね》、西洋館《せいやうくわん》が別《べつ》に立《た》ち、帳場《ちやうば》も卓子《テエブル》を置《お》いた受附《うけつけ》に成《な》つて、蔦屋《つたや》の樣子《やうす》はかはつて居《ゐ》ました。
代替《だいがは》りに成《な》つたのです。――
少《すこ》しばかり、女中《ぢよちう》に心《こゝろ》づけも出來《でき》ましたので、それとなく、お米《よね》さんの消息《せうそく》を聞《き》きますと、蔦屋《つたや》も蔦龍館《てうりうくわん》と成《な》つた發展《はつてん》で、持《もち》の此《こ》の女中《ぢよちう》などは、京《きやう》の津《つ》から來《き》て居《ゐ》るのださうで、少《すこ》しも恩人《おんじん》の事《こと》を知《し》りません。
番頭《ばんとう》を呼《よ》んでもらつて訊《たづ》ねますと、――勿論《もちろん》其《そ》の頃《ころ》の男《をとこ》ではなかつたが――此《これ》はよく知《し》つて居《ゐ》ました。
蔦屋《つたや》は、若主人《わかしゆじん》――お米《よね》さんの兄《あに》――が相場《さうば》にかゝつて退轉《たいてん》をしたさうです。お米《よね》さんにまけない美人《びじん》をと言《い》つて、若主人《わかしゆじん》は、祇園《ぎをん》の藝妓《げいしや》をひかして女房《にようばう》にして居《ゐ》たさうでありますが、それも亡《な》くなりました。
知事《ちじ》――其《そ》の三|年前《ねんぜん》に亡《な》く成《な》つた事《こと》は、私《わたし》も新聞《しんぶん》で知《し》つて居《ゐ》たのです――其《そ》のいくらか手當《てあて》が殘《のこ》つた
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