のが、目《め》くるめくばかりに思《おも》はれました。
「私《わたし》は……關《せき》……」
と名《な》を申《まを》して、
「蔦屋《つたや》さんのお孃《ぢやう》さんに、お目《め》にかゝりたくて參《まゐ》りました。」
「米《よね》は私《わたし》でございます。」
と顏《かほ》を上《あ》げて、清《すゞ》しい目《め》で熟《じつ》と視《み》ました。
私《わたし》の額《ひたひ》は汗《あせ》ばんだ。――あのいつか額《ひたひ》に置《お》かれた、手《て》の影《かげ》ばかり白《しろ》く映《うつ》る。
「まあ、關《せき》さん。――おとなにお成《な》りなさいました……」
此《これ》ですもの、可懷《なつかし》さはどんなでせう。
しかし、こゝで私《わたし》は初戀《はつこひ》、片《かた》おもひ、戀《こひ》の愚癡《ぐち》を言《い》ふのではありません。
……此《こ》の凄《すご》い吹雪《ふゞき》の夜《よ》、不思議《ふしぎ》な事《こと》に出《で》あひました、其《そ》のお話《はなし》をするのであります。
四
その時《とき》は、四疊半《かこひ》ではありません。が、爐《ろ》を切《き》つた茶《ちや》の室《ま》に通《とほ》されました。
時《とき》に、先客《せんきやく》が一人《ひとり》ありまして爐《ろ》の右《みぎ》に居《ゐ》ました。氣高《けだか》いばかり品《ひん》のいゝ年《とし》とつた尼《あま》さんです。失禮《しつれい》ながら、此《こ》の先客《せんきやく》は邪魔《じやま》でした。それがために、いとゞ拙《つたな》い口《くち》の、千《せん》の一《ひと》つも、何《なん》にも、ものが言《い》はれなかつたのであります。
「貴女《あなた》は煙草《たばこ》をあがりますか。」
私《わたし》はお米《よね》さんが、其《そ》の筒袖《こひぐち》の優《やさ》しい手《て》で、煙管《きせる》を持《も》つのを視《み》て然《さ》う言《い》ひました。
お米《よね》さんは、控《ひか》へて一寸《ちよつと》俯向《うつむ》きました。
「何事《なにごと》もわすれ草《ぐさ》と申《まを》しますな。」
と尼《あま》さんが、能《のう》の面《めん》がものを言《い》ふやうに言《い》ひました。
「關《せき》さんは、今年《ことし》三十五にお成《な》りですか。」
とお米《よね》さんが先《さき》へ數《かぞ》へて、私《わたし》の年《とし》を
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