、大根《だいこん》も引《ひ》く、屋根《やね》も葺《ふ》く、水《みづ》も汲《く》めば米《こめ》も搗《つ》く、達者《たつしや》なればと、この老僕《おやぢ》を擇《えら》んだのが、大《おほい》なる過失《くわしつ》になつた。
いかに息災《そくさい》でも既《すで》に五十九、あけて六十にならうといふのが、内《うち》でこそはくる/\※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]《まは》れ、近頃《ちかごろ》は遠路《とほみち》の要《えう》もなく、父親《ちゝおや》が本《ほん》を見《み》る、炬燵《こたつ》の端《はし》を拜借《はいしやく》し、母親《はゝおや》が看經《かんきん》するうしろから、如來樣《によらいさま》を拜《をが》む身分《みぶん》、血《ち》の氣《け》の少《すく》ないのか、とやかくと、心遣《こゝろづか》ひに胸《むね》を騷《さわ》がせ、寒《さむ》さに骨《ほね》を冷《ひや》したれば、忘《わす》れて居《ゐ》た持病《ぢびやう》がこゝで、生憎《あいにく》此時《このとき》。
雪《ゆき》は小止《をやみ》もなく降《ふ》るのである、見《み》る/\内《うち》に積《つも》るのである。
大勢《おほぜい》が寄《よ》つて集《たか
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