乗せられたり。記念《かたみ》にとて送りけむ。家土産《いえづと》にしたるなるべし。その小袖の上に菊の枝置き添えつ。黒き人影あとさきに、駕籠ゆらゆらと釣持ちたる、可惜《あたら》その露をこぼさずや、大輪《おおりん》の菊の雪なすに、月の光照り添いて、山路に白くちらちらと、見る目|遥《はるか》に下り行《ゆ》きぬ。
 見送り果てず引返して、駈《か》け戻りて枝折戸《しおりど》入《い》りたる、庵のなかは暗かりき。
「唯今《ただいま》!」
 と勢《いきおい》よく框《かまち》に踏懸け呼びたるに、答《いらえ》はなく、衣《きぬ》の気勢《けはい》して、白き手をつき、肩のあたり、衣紋《えもん》のあたり、乳《ち》のあたり、衝立《ついたて》の蔭に、つと立ちて、烏羽玉《うばたま》の髪のひまに、微笑《ほほえ》みむかえし摩耶が顔。筧《かけひ》の音して、叢《くさむら》に、虫鳴く一ツ聞えしが、われは思わず身の毛よだちぬ。
 この虫の声、筧の音、框に片足かけたる、その時、衝立の蔭に人見えたる、われはかつてかかる時、かかることに出会《いであ》いぬ。母上か、摩耶なりしか、われ覚えておらず。夢なりしか、知らず、前《さき》の世のことなり
前へ 次へ
全31ページ中30ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング