家に、女でこそあれ、山の清心さんくらいの方はありやしない。
もう八十にもなっておいでだのに、法華経二十八巻を立読《たてよみ》に遊ばして、お茶一ツあがらない御修行だと、他宗の人でも、何でも、あの尼様といやア拝むのさ。
それにどうだろう。お互の情《こころ》を通じあって、恋の橋渡《はしわたし》をおしじゃあないか。何の事はない、こりゃ万事人の悪い髪結《かみゆい》の役だあね。おまけにお前様、あの薄暗い尼寺を若いもの同士にあけ渡して、御機嫌よう、か何かで、ふいとどこかへ遁《に》げた日になって見りゃ、破戒無慙《はかいむざん》というのだね。乱暴じゃあないか。千ちゃん、尼さんだって七十八十まで行い澄《すま》していながら、お前さんのために、ありゃまあどうしたというのだろう。何か、千ちゃん処《とこ》は尼さんのお主《しゅう》筋でもあるのかい。そうでなきゃ分らないわ。どんな因縁だね。」
と心|籠《こ》めて問う状《さま》なり。尼君のためなれば、われ少しく語るべし。
「お前も知っておいでだね、母上《おっかさん》は身を投げてお亡くなんなすったのを。」
「ああ。」
「ありゃね、尼様が殺したんだ。」
「何ですと。」
女は驚きて目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》りぬ。
六
「いいえ、手を懸けたというんじゃあない。私はまだ九歳《ここのつ》時分のことだから、どんなだか、くわしい訳は知らないけれど、母様《おっかさん》は、お前、何か心配なことがあって、それで世の中が嫌におなりで、くよくよしていらっしゃったんだが、名高い尼様《あまさん》だから、話をしたら、慰めて下さるだろうって、私の手を引いて、しかも、冬の事だね。
ちらちら雪の降るなかを山へのぼって、尼寺をおたずねなすッて、炉《ろ》の中へ何だか書いたり、消したりなぞして、しんみり話をしておいでだったが、やがてね、二時間ばかり経《た》ってお帰りだった。ちょうど晩方で、ぴゅうぴゅう風が吹いてたんだ。
尼様が上框《あがりかまち》まで送って来て、分れて出ると、戸を閉めたの。少し行懸《ゆきかか》ると、内で、
(おお、寒《さむ》、寒。)と不作法な大きな声で、アノ尼様がいったのが聞えると、母様が立停《たちどま》って、なぜだか顔の色をおかえなすったのを、私は小児心《こどもごころ》にも覚えている。それから、しおしおとして山をお下り
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