》の中じゃあ一番うつくしいんだけんど、食べられましねえ。あぶれた手合が欲しそうに見ちゃあ指をくわえるやつでね、そいつばッかりゃ塩を浴びせたって埒《らち》明きませぬじゃ、おッぽり出してしまわっせえよ。はい、」
といいかけて、行《ゆ》かむとしたる、山番の爺《じじ》はわれらが庵を五六町隔てたる山寺の下に、小屋かけてただ一人住みたるなり。
風吹けば倒れ、雨露《うろ》に朽ちて、卒堵婆《そとば》は絶えてあらざれど、傾きたるまま苔蒸《こけむ》すままに、共有地の墓いまなお残りて、松の蔭の処々に数多く、春夏冬は人もこそ訪《と》わね、盂蘭盆《うらぼん》にはさすがに詣《もう》で来る縁者もあるを、いやが上に荒れ果てさして、霊地の跡を空しゅうせじとて、心ある市《まち》の者より、田畑少し附属して養いおく、山番の爺は顔|丸《まろ》く、色|煤《すす》びて、眼《まなこ》は窪《くぼ》み、鼻|円《まろ》く、眉は白くなりて針金のごときが五六本短く生《お》いたり。継はぎの股引《ももひき》膝までして、毛脛《けずね》細く瘠《や》せたれども、健かに。谷を攀《よ》じ、峰にのぼり、森の中をくぐりなどして、杖《つえ》をもつかで、見めぐるにぞ、盗人《ぬすびと》の来て林に潜むことなく、わが庵も安らかに、摩耶も頼母《たのも》しく思うにこそ、われも懐ししと思いたり。
「食べやしないんだよ。爺や、ただ玩弄《おもちゃ》にするんだから。」
「それならば可《よ》うごすが。」
爺は手桶《ておけ》を提《ひっさ》げいたり。
「何でもこうその水ン中へうつして見るとの、はっきりと影の映るやつは食べられますで、茸《きのこ》の影がぼんやりするのは毒がありますじゃ。覚えておかっしゃい。」
まめだちていう。頷《うなず》きながら、
「一杯呑ましておくれな。咽喉《のど》が渇いて、しようがないんだから。」
「さあさあ、いまお寺から汲《く》んで来たお初穂だ、あがんなさい。」
掬《むす》ばむとして猶予《ため》らいぬ。
「柄杓《ひしゃく》がないな、爺や、お前ン処《とこ》まで一所に行《ゆ》こう。」
「何が、仏様へお茶を煮てあげるんだけんど、お前様のきれいなお手だ、ようごす、つッこんで呑まっしゃいさ。」
俯向《うつむ》きざま掌《たなそこ》に掬《すく》いてのみぬ。清涼|掬《きく》すべし、この水の味はわれ心得たり。遊山《ゆさん》の折々かの山寺の井戸の水試みたる
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