兵《ぐんぴょう》。伏屋《ふせや》が門《かど》の卯《う》の花も、幽霊の鎧《よろい》らしく、背戸の井戸の山吹も、美女《たおやめ》の名の可懐《なつかし》い。
これは旧《もと》とても異《かわ》りはなかった。しかしその頃は、走らす車、運ぶ草鞋《わらじ》、いざ峠にかかる一息つくため、ここに麓路《ふもとじ》を挟《さしはさ》んで、竹の橋の出外《ではず》れに、四五軒の茶店があって、どこも異らぬ茶染《ちゃぞめ》、藍染《あいぞめ》、講中手拭《こうじゅうてぬぐい》の軒にひらひらとある蔭から、東海道の宿々のように、きちんと呼吸《いき》は合わぬながら、田舎は田舎だけに声繕《こわづくろ》いして、
「お掛けやす。」
「お休みやーす。」
それ、馬のすずに調子を合わせる。中には若い媚《なま》めかしい声が交って、化粧した婦《おんな》も居た。
境も、往《ゆ》き還《かえ》り奥の見晴しに通って、縁から峠に手を翳《かざ》す、馴染《なじみ》の茶店があったのであるが、この度見ると、可なり広いその家構《やがまえ》の跡は、草|茫々《ぼうぼう》、山を見通しの、ずッと裏の小高い丘には、松が一本、野を守る姿に立って、小さな墓の累《かさな》
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