ぬ、倶利伽羅峠を、というに過ぎぬ。
 けれども徒労でないのは、境の家は、今こそ東京にあるが、もと富山県に、父が、某《なにがし》の職を奉じた頃、金沢の高等学校に寄宿していた。従って暑さ寒さのよりよりごとに、度々倶利伽羅を越えたので、この時志したのは、謂《い》わば第二の故郷に帰省する意味にもなる。
 汽車は津幡《つばた》で下りた。市との間に、もう一つ、森下《もりもと》と云う町があって、そこへも停車場《ステエション》が出来るそうな、が、まだその運びに到らぬから、津幡は金沢から富山の方へ最初の駅。
 間四里、聞えた加賀の松並木の、西東あっちこち、津幡まではほとんど家続きで、蓮根《れんこん》が名産の、蓮田《はすだ》が稲田より風薫る。で、さまで旅らしい趣はないが、この駅を越すと竹の橋――源平盛衰記に==源氏の一手《ひとて》は樋口兼光《ひぐちかねみつ》大将にて、笠野富田を打廻り、竹の橋の搦手《からめて》にこそ向いけれ==とある、ちょうど峠の真下の里で。倶利伽羅を仰ぐと早や、名だたる古戦場の面影が眉に迫って、驚破《すわ》、松風も鯨波《とき》の声、山の緑も草摺《くさずり》を揺り揃えたる数万《すまん》の軍
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