に、腕《かいな》に後毛《おくれげ》を掛けたまま私を見詰める。眉が浮くように少し仰向《あおむ》いた形で、……抜けかかった櫛《くし》も落さず、動きもしません。
 黙っちゃいられませんから、
(気がついたんですか。失礼を、)
 まだ詫《わび》をする工合《ぐあい》の悪さ。でも、やっぱり黙っています。
(気分はどうなんです。ここに倒れていなすったんだが。)
 これで分ったろう、放したまえ、早く擦抜けようと、もじつくのが、婦《おんな》の背《せな》を突いて揺《ゆすぶ》るようだから、慌ててまた窘《すく》まりましたよ。どこを糸で結んで手足になったか、女の身体《からだ》がまるで綿で……」

       十八

「綿で……重いことは膝が折れそう――もっともこの重いのは、あの昔話の、怪《あやし》い者が負《おぶ》さると途中で挫《ひし》げるほどに目貫《めかた》がかかるっていう、そんなのじゃない。そりゃ私にも分っていましたが、……
 ああ、これはなぜ私が介抱したか、その人はどうしていたか、そんな事なんぞ言ってるんではまだるッこい。
(失礼しました、今何です、貴女の胸に蟻が這っていたもんですから、)
 つい払って上げよう、と触ったんだ、とてっきりそれがために、そんな様子で居るんだろう、と気が着いて、言訳をしましたがね。
 黙っています……ちっとも動かないで、私の顔を、そのまま見詰めてるじゃありませんか。」
 と三造は先達の顔を瞻《みまも》って、
「じゃ、まだ気が遠くなったままで、何も聞えんのかと思えば、……顔よりは、私が何か言うその声の方が、かえってその人の瞳に映るような様子でしょう。梔子《くちなし》の花でないのは、一目見てもはじめから分ってます。
 弱りました。汗が冷く、慄気《ぞっ》と寒い。息が発奮《はず》んで、身内が震う処から、取ったのを放してくれない指の先へ、ぱっと火がついたように、ト胸へ来たのは、やあ!こうやって生血を吸い取る……」
「成程、成程、いずれその辺で、大慨|気絶《ひきつ》けてしまうのでござろう。」
 と先達は合点《がってん》する。
「転倒《てんどう》しても気は確《たしか》で、そんなら、振切っても刎上《はねあが》ったかと言えば、またそうもし得ない、ここへ、」
 境は帯を圧《おさ》えつつ、
「天女の顔の刺繍《ほりもの》して、自分の腰から下はさながら羽衣の裾になってる姿でしょう。退
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