うざんじ》が一院、北国名代《ほっこくなだい》の巡拝所――
と申す説もござりました。」
七
「ところが、買手が附いたのでござりましてな。随分広い、山ぐるみ地所附だと申す事で。」
行者がちょいと句切ったので、
「別荘にでもなりましたか。」
煙管《きせる》を揮《ふ》って、遮るごとく、
「いや、その儀なら仔細《しさい》はござらん、またどこの好事《ものずき》じゃと申して、そんな峠へ別荘でもござりますまい。……まず理窟は措《お》いて、誰だか買主が分らぬでございます。第一その話がござってから、二人や、三人、ぽつぽつ峠を越したものもございますが、一向に人の住んでいる様子は見えぬという事で。ただ稀代なのは、いつの間にやら雨で洗ったように、焼跡《やけあと》らしい灰もなし、焚《もえ》さしの材木一本|横《よこた》わっておらぬばかりか、大風で飛ばしたか、土礎石《どだいいし》一つ無い。すらりと飯櫃形《いびつなり》の猿ヶ|馬場《ばんば》に、吹溜《ふきた》まった落葉を敷いて、閑々と静まりかえった、埋《うも》れ井戸には桔梗《ききょう》が咲き、薄《すすき》に女郎花《おみなえし》が交ったは、薄彩色《うすさいしき》の褥《しとね》のようで、上座《かみくら》に猿丸太夫、眷属《けんぞく》ずらりと居流れ、連歌でもしそうな模様じゃ。……(焼撃《やきうち》をしたのも九十九折《つづらおり》の猿が所為《しわざ》よ、道理こそ、柿の樹と栗の樹は焼かずに背戸へ残したわ。)……などと申す。
山家徒《やまがであい》でござるに因って、何か一軒家を買取ったも、古猿の化けた奴《やつ》。古《むかし》この猿ヶ馬場には、渾名《あだな》を熊坂《くまさか》と言った大猿があって、通行の旅人を追剥《おいはが》し、石動《いするぎ》の里へ出て、刀の鍔《つば》で小豆餅《あずきもち》を買ったとある、と雪の炉端《ろばた》で話が積《つも》る。
トそこら白いものばっかりで、雪上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]《ゆきじょうろう》は白無垢《しろむく》じゃ……なんぞと言う処から、袖裾《そですそ》が出来たものと見えまして、近頃峠の古屋には、世にも美しい婦《おんな》が住《すま》う。
人が通ると、猿ヶ馬場に、むらむらと立つ、靄《もや》、霞、霧の中に、御殿女中の装いした婦《おんな》の姿がすっと立つ――
見たものは命がな
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