ていると、ばたりと落ちて、脇腹から、鳩尾《みずおち》の下、背中と、浴衣越しに、――それから男に血を彩ろうという――紅《べに》の絵の具皿の覆《こぼ》れかかったのが、我が身の皮を染め、肉を透して、血に交って、洗っても、拭《ぬぐ》っても、濃くなるばかりで、褪《あ》せさえせぬ。
 お綾は貴婦人の膝に縋《すが》って、すべてを打明けて泣いたんです。
 その頃は、もう生れかわったようになって、何某《なにがし》の令夫人だった貴婦人は、我が身も同《おんな》じに、悲《かなし》み傷《いた》んで、何は措《お》いても、その悪い癖を撓《た》め直そうと、千辛万苦《せんしんばんく》したけれども、お綾は、怪《あやし》い情を制し得ない。
 情を知った貴婦人は、それから心着いて試みると、お綾に呪詛《のろ》われたものは、必ず無事ではないのが確《たしか》で。
 今はこう、とお綾の決心を聞いた上、心一つで計らって、姫捨山を見立てました。
 ところが、この倶利伽羅峠は、夢に山の端《は》に白刃《しらは》を拭《ぬぐ》って憩った、まさしくその山の姿だと言う。しかしこの峠を越したのが、少《わか》い人には、はじめて国の境を出たので、その思出もあったからでしょう。
 ちょうど、立場《たてば》が荒廃《すた》れて、一軒家が焼残ったというのも奇蹟だからと、そこで貴婦人が買取って、少《わか》い女《ひと》の世を避ける隠れ里にしたのだと言います。
 で、一切《すべて》の事は、秘密に貴婦人が取《とり》まかなう。」

       三十七

「月に一度、あるいは二度、貴婦人が忍んで山に上って来る。その時は、ああして抱いて、もとは自分から起った事と、膚《はだ》の曇《くもり》に接吻《キッス》をする。
 が、雪なす膚に、燃え立つ鬼百合の花は、吸消されもせず、しぼみもしない。のみならず、会心の男が出来て、これはと思うその胸へ、グザと刃《やいば》を描いて刺す時、膚を当てると、鮮紅《からくれない》の露を絞って、生血《いきち》の雫《しずく》が滴点《したた》ると言います。
 広間の壁には、竹箆《たけべら》で土を削って、基督《キリスト》の像が、等身に刻みつけて描《か》いてあった。本箱の中も、残らず惨憺《さんたん》たる彩色画《さいしきが》で、これは目当の男のない時、歴史に血を流した人を描くのでした。」
 と物語る、三造の声は震えた。……
「お先達。
 で、貴
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