るぼうで汲《く》み得《え》らるゝ。石疊《いしだたみ》で穿下《ほりおろ》した合目《あはせめ》には、此《こ》のあたりに産《さん》する何《なん》とかいふ蟹《かに》、甲良《かふら》が黄色《きいろ》で、足《あし》の赤《あか》い、小《ちひ》さなのが數限《かずかぎり》なく群《むらが》つて動《うご》いて居《ゐ》る。毎朝《まいあさ》此《こ》の水《みづ》で顏《かほ》を洗《あら》ふ、一|杯《ぱい》頭《あたま》から浴《あ》びようとしたけれども、あんな蟹《かに》は、夜中《よなか》に何《なに》をするか分《わか》らぬと思《おも》つてやめた。
 門《もん》を出《で》ると、右左《みぎひだり》、二畝《ふたうね》ばかり慰《なぐさ》みに植《う》ゑた青田《あをた》があつて、向《むか》う正面《しやうめん》の畦中《あぜなか》に、琴彈松《ことひきまつ》といふのがある。一昨日《をとつひ》の晩《ばん》宵《よひ》の口《くち》に、其《そ》の松《まつ》のうらおもてに、ちら/\灯《ともしび》が見《み》えたのを、海濱《かいひん》の別莊《べつさう》で花火《はなび》を焚《た》くのだといひ、否《いや》、狐火《きつねび》だともいつた。其《そ》の時《とき》は濡《ぬ》れたやうな眞黒《まつくろ》な暗夜《やみよ》だつたから、其《そ》の灯《ひ》で松《まつ》の葉《は》もすら/\と透通《すきとほ》るやうに青《あを》く見《み》えたが、今《いま》は、恰《あたか》も曇《くも》つた一面《いちめん》の銀泥《ぎんでい》に描《ゑが》いた墨繪《すみゑ》のやうだと、熟《ぢつ》と見《み》ながら、敷石《しきいし》を蹈《ふ》んだが、カラリ/\と日和下駄《ひよりげた》の音《おと》の冴《さ》えるのが耳《みゝ》に入《はひ》つて、フと立留《たちとま》つた。
 門外《おもて》の道《みち》は、弓形《ゆみなり》に一條《ひとすぢ》、ほの/″\と白《しろ》く、比企《ひき》ヶ谷《やつ》の山《やま》から由井《ゆゐ》ヶ濱《はま》の磯際《いそぎは》まで、斜《なゝめ》に鵲《かさゝぎ》の橋《はし》を渡《わた》したやう也《なり》。
 ハヤ浪《なみ》の音《おと》が聞《きこ》えて來《き》た。
 濱《はま》の方《はう》へ五六|間《けん》進《すゝ》むと、土橋《どばし》が一架《ひとつ》、並《なみ》の小《ちひ》さなのだけれども、滑川《なめりがは》に架《かゝ》つたのだの、長谷《はせ》の行合橋《ゆきあひばし》だのと、お
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