淀《よど》んで居《ゐ》るのも、夜明《よあけ》に間《ま》のない所爲《せゐ》であらう。墓原《はかはら》へ出《で》たのは十二|時過《じすぎ》、それから、あゝして、あゝして、と此處《こゝ》まで來《き》た間《あひだ》のことを心《こゝろ》に繰返《くりかへ》して、大分《だいぶん》の時間《じかん》が經《た》つたから。
 と思《おも》ふ内《うち》に、車《くるま》は自分《じぶん》の前《まへ》、ものの二三|間《げん》隔《へだ》たる處《ところ》から、左《ひだり》の山道《やまみち》の方《はう》へ曲《まが》つた。雪《ゆき》の下《した》へ行《ゆ》くには、來《き》て、自分《じぶん》と摺《す》れ違《ちが》つて後方《うしろ》へ通《とほ》り拔《ぬ》けねばならないのに、と怪《あやし》みながら見ると、ぼやけた色《いろ》で、夜《よる》の色《いろ》よりも少《すこ》し白《しろ》く見《み》えた、車《くるま》も、人《ひと》も、山道《やまみち》の半《なかば》あたりでツイ目《め》のさきにあるやうな、大《おほ》きな、鮮《あざやか》な形《かたち》で、ありのまゝ衝《つ》と消《き》えた。
 今《いま》は最《も》う、さつきから荷車《にぐるま》が唯《たゞ》辷《すべ》つてあるいて、少《すこ》しも轣轆《れきろく》の音《おと》の聞《きこ》えなかつたことも念頭《ねんとう》に置《お》かないで、早《はや》く此《こ》の懊惱《あうなう》を洗《あら》ひ流《なが》さうと、一直線《いつちよくせん》に、夜明《よあけ》に間《ま》もないと考《かんが》へたから、人憚《ひとはゞか》らず足早《あしばや》に進《すゝ》んだ。荒物屋《あらものや》の軒下《のきした》の薄暗《うすくら》い處《ところ》に、斑犬《ぶちいぬ》が一|頭《とう》、うしろ向《むき》に、長《なが》く伸《の》びて寢《ね》て居《ゐ》たばかり、事《こと》なく着《つ》いたのは由井《ゆゐ》ヶ濱《はま》である。
 碧水金砂《へきすゐきんさ》、晝《ひる》の趣《おもむき》とは違《ちが》つて、靈山《りやうぜん》ヶ崎《さき》の突端《とつぱな》と小坪《こつぼ》の濱《はま》でおしまはした遠淺《とほあさ》は、暗黒《あんこく》の色《いろ》を帶《お》び、伊豆《いづ》の七島《しちたう》も見《み》ゆるといふ蒼海原《あをうなばら》は、さゝ濁《にごり》に濁《にご》つて、果《はて》なくおつかぶさつたやうに堆《うづだか》い水面《すゐめん》は、おなじ
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