色《いろ》に空《そら》に連《つらな》つて居《ゐ》る。浪打際《なみうちぎは》は綿《わた》をば束《つか》ねたやうな白《しろ》い波《なみ》、波頭《なみがしら》に泡《あわ》を立《た》てて、どうと寄《よ》せては、ざつと、おうやうに、重々《おも/\》しう、飜《ひるがへ》ると、ひた/\と押寄《おしよ》せるが如《ごと》くに來《く》る。これは、一|秒《べう》に砂《すな》一|粒《りふ》、幾億萬年《いくおくまんねん》の後《のち》には、此《こ》の大陸《たいりく》を浸《ひた》し盡《つく》さうとする處《ところ》の水《みづ》で、いまも、瞬間《しゆんかん》の後《のち》も、咄嗟《とつさ》のさきも、正《まさ》に然《しか》なすべく働《はたら》いて居《ゐ》るのであるが、自分《じぶん》は餘《あま》り大陸《たいりく》の一端《いつたん》が浪《なみ》のために喰缺《くひか》かれることの疾《はや》いのを、心細《こゝろぼそ》く感《かん》ずるばかりであつた。
妙長寺《めうちやうじ》に寄宿《きしゆく》してから三十|日《にち》ばかりになるが、先《さき》に來《き》た時分《じぶん》とは濱《はま》が著《いちじる》しく縮《ちゞ》まつて居《ゐ》る。町《まち》を離《はな》れてから浪打際《なみうちぎは》まで、凡《およ》そ二百|歩《ほ》もあつた筈《はず》なのが、白砂《しらすな》に足《あし》を踏掛《ふみか》けたと思《おも》ふと、早《は》や爪先《つまさき》が冷《つめた》く浪《なみ》のさきに觸《ふ》れたので、晝間《ひるま》は鐵《てつ》の鍋《なべ》で煮上《にあ》げたやうな砂《すな》が、皆《みな》ずぶ/″\に濡《ぬ》れて、冷《ひやつ》こく、宛然《さながら》網《あみ》の下《した》を、水《みづ》が潛《くゞ》つて寄《よ》せ來《く》るやう、砂地《すなぢ》に立《た》つてても身體《からだ》が搖《ゆら》ぎさうに思《おも》はれて、不安心《ふあんしん》でならぬから、浪《なみ》が襲《おそ》ふとすた/\と後《あと》へ退《の》き、浪《なみ》が返《かへ》るとすた/\と前《まへ》へ進《すゝ》んで、砂《すな》の上《うへ》に唯一人《たゞひとり》やがて星《ほし》一《ひと》つない下《した》に、果《はて》のない蒼海《あをうみ》の浪《なみ》に、あはれ果敢《はかな》い、弱《よわ》い、力《ちから》のない、身體《からだ》單個《ひとつ》弄《もてあそ》ばれて、刎返《はねかへ》されて居《ゐ》るのだ、
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