政談十二社
泉鏡花

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)町端《まちはずれ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)二歩|行《ゆ》く内

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(例)※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》した
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       一

 東京もはやここは多摩の里、郡の部に属する内藤新宿の町端《まちはずれ》に、近頃新開で土の色赤く、日当《ひあたり》のいい冠木門《かぶきもん》から、目のふちほんのりと酔《えい》を帯びて、杖を小脇に、つかつかと出た一名の瀟洒《しょうしゃ》たる人物がある。
 黒の洋服で雪のような胸、手首、勿論靴で、どういう好みか目庇《まびさし》のつッと出た、鉄道の局員が被《かぶ》るような形《かた》なのを、前さがりに頂いた。これにてらてらと小春の日の光を遮って、やや蔭になった頬骨《ほおぼね》のちっと出た、目の大きい、鼻の隆《たか》い、背のすっくりした、人品に威厳のある年齢《ねんぱい》三十ばかりなるが、引緊《ひきしま》った口に葉巻を啣《くわ》えたままで、今門を出て、刈取ったあとの蕎麦畠《そばばたけ》に面した。
 この畠を前にして、門前の径《こみち》を右へ行《ゆ》けば通《とおり》へ出て、停車場《ステエション》へは五町に足りない。左は、田舎道で、まず近いのが十二社《じゅうにそう》、堀ノ内、角筈《つのはず》、目黒などへ行《ゆ》くのである。
 見れば青物を市へ積出した荷車が絶えては続き、街道を在所の方へ曳《ひ》いて帰る。午後三時を過ぎて秋の日は暮れるに間もあるまいに、停車場《ステエション》の道には向わないで、かえって十二社の方へ靴の尖《さき》を廻《めぐ》らして、衝《つ》と杖《ステッキ》を突出した。
 しかもこの人は牛込南町辺に住居《すまい》する法官である。去年まず検事補に叙せられたのが、今年になって夏のはじめ、新《あらた》に大審院の判事に任ぜられると直ぐに暑中休暇になったが、暑さが厳しい年であったため、痩《や》せるまでの煩いをしたために、院が開けてからも二月ばかり病気びきをして、静《しずか》に療養をしたので、このごろではすっかり全快、そこで届を出してやがて出勤をしようという。
 ちょうど日曜で、久しぶりの郊外散策、足固めかたがた新宿から歩行《ある》いて、十二社あたりまで行こうという途中、この新開に住んでいる給水工場の重役人に知合があって立寄ったのであった。
 これから、名を由之助《よしのすけ》という小山判事は、埃《ほこり》も立たない秋の空は水のように澄渡って、あちらこちら蕎麦の茎の西日の色、真赤《まっか》な蕃椒《とうがらし》が一団々々ある中へ、口にしたその葉巻の紫の煙を軽く吹き乱しながら、田圃道《たんぼみち》を楽しそう。
 その胸の中《うち》もまた察すべきものである。小山はもとより医者が厭《いや》だから文学を、文学も妙でない、法律を、政治をといった側の少年ではなかった。
 されば法官がその望《のぞみ》で、就中《なかんずく》希《こいねが》った判事に志を得て、新たに、はじめて、その方は……と神聖にして犯すべからざる天下控訴院の椅子にかかろうとする二三日。
 足の運びにつれて目に映じて心に往来《ゆきき》するものは、土橋でなく、流《ながれ》でなく、遠方の森でなく、工場の煙突でなく、路傍《みちばた》の藪《やぶ》でなく、寺の屋根でもなく、影でなく、日南《ひなた》でなく、土の凸凹《でこぼこ》でもなく、かえって法廷を進退する公事《くじ》訴訟人の風采《ふうさい》、俤《おもかげ》、伏目《ふしめ》に我を仰ぎ見る囚人の顔、弁護士の額、原告の鼻、検事の髯《ひげ》、押丁《おうてい》等の服装、傍聴席の光線の工合《ぐあい》などが、目を遮り、胸を蔽《おお》うて、年少判事はこの大《おおい》なる責任のために、手も自由ならず、足の運びも重いばかり、光った靴の爪尖《つまさき》と、杖の端の輝く銀とを心すともなく直視《みつ》めながら、一歩進み二歩|行《ゆ》く内、にわかに颯《さっ》と暗くなって、風が身に染むので心着けば、樹蔭《こかげ》なる崖《がけ》の腹から二頭の竜の、二条の氷柱を吐く末が百筋《ももすじ》に乱れて、どッと池へ灌《そそ》ぐのは、熊野の野社《のやしろ》の千歳経《ちとせふ》る杉の林を頂いた、十二社の滝の下路《したみち》である。

       二

「何か変ったこともないか。」と滝に臨んだ中二階の小座敷、欄干に凭《もた》れながら判事は徒然《つれづれ》に茶店の婆さんに話しかける。
 十二社あたりへ客の寄るのは、夏も極暑の節|一盛《ひとさかり》で、やがて初冬にもなれば、上の社《やしろ》の森の中で狐が鳴こうという場所柄の、さびれさ加減思うべしで、建廻した茶屋|休息所《やすみどころ》、その節は、ビール聞し召せ枝豆も候だのが、ただ葦簀《よしず》の屋根と柱のみ、破《やぶれ》の見える床の上へ、二ひら三ひら、申訳だけの緋《ひ》の毛布《けっと》を敷いてある。その掛茶屋は、松と薄《すすき》で取廻し、大根畠を小高く見せた周囲五町ばかりの大池の汀《みぎわ》になっていて、緋鯉《ひごい》の影、真鯉の姿も小波《さざなみ》の立つ中に美しく、こぼれ松葉の一筋二筋|辷《すべ》るように水面を吹かれて渡るのも風情であるから、判事は最初、杖をここに留《とど》めて憩ったのであるが、眩《まばゆ》いばかり西日が射《さ》すので、頭痛持なれば眉を顰《ひそ》め、水底《みなそこ》へ深く入った鯉とともにその毛布《けっと》の席《むしろ》を去って、間《あい》に土間一ツ隔てたそれなる母屋の中二階に引越したのであった。
 中二階といってもただ段の数二ツ、一段低い処にお幾という婆さんが、塩|煎餅《せんべい》の壺《つぼ》と、駄菓子の箱と熟柿《じゅくし》の笊《ざる》を横に控え、角火鉢の大《おおき》いのに、真鍮《しんちゅう》の薬罐《やかん》から湯気を立たせたのを前に置き、煤《すす》けた棚の上に古ぼけた麦酒《ビール》の瓶、心太《ところてん》の皿などを乱雑に並べたのを背後《うしろ》に背負い、柱に安煙草《やすたばこ》のびらを張り、天井に捨団扇《すてうちわ》をさして、ここまでさし入る日あたりに、眼鏡を掛けて継物をしている。外に姉さんも何《なんに》も居ない、盛《さかり》の頃は本家から、女中料理人を引率して新宿|停車場《ステエション》前の池田屋という飲食店が夫婦づれ乗込むので、独身《ひとりみ》の便《たより》ないお幾婆さんは、その縁続きのものとか、留守番を兼ねて後生のほどを行い澄《すま》すという趣。
 判事に浮世ばなしを促されたのを機《しお》にお幾はふと針の手を留めたが、返事より前《さき》に逸疾《いちはや》くその眼鏡を外した、進んで何か言いたいことでもあったと見える、別の吸子《きゅうす》に沸《たぎ》った湯をさして、盆に乗せるとそれを持って、前垂《まえだれ》の糸屑《いとくず》を払いさま、静《しずか》に壇を上って、客の前に跪《ひざまず》いて、
「お茶を入替えて参りました、召上りまし。」といいながら膝《ひざ》近く躙《にじ》り寄って差置いた。
 判事は欄干について頬を支えていた手を膝に取って、
「おお、それは難有《ありがと》う。」
 と婆《ばば》の目には、もの珍しく見ゆるまで、かかる紳士の優しい容子《ようす》を心ありげに瞻《みまも》ったが、
「時に旦那様。」
「むむ、」
「まあ可哀そうだと思召《おぼしめ》しまし、この間お休み遊ばしました時、ちょっと参りましたあの女でございますが、御串戯《ごじょうだん》ではございましょうが、旦那様も佳《い》い女だな、とおっしゃって下さいましたあのことでございますがね、」
 と言いかけてちょっと猶予《ためら》って、聞く人の顔の色を窺《うかが》ったのは、こういって客がこのことについて注意をするや否やを見ようとしたので。心にもかけないほどの者ならば話し出して退屈をさせるにも及ばぬことと、年寄だけに気が届いたので、案のごとく判事は聴く耳を立てたのである。
「おお、どうかしたか、本当に容子《ようす》の佳い女《こ》だよ。」
「はい、容子の可《い》い女《こ》で。旦那様は都でいらっしゃいます、別にお目にも留りますまいが、私《わたくし》どもの目からはまるでもう弁天様か小町かと見えますほどです。それに深切で優しいおとなしい女《こ》でございまして、あれで一枚着飾らせますれば、上《うえ》つ方《がた》のお姫様と申しても宜《い》い位。」

       三

「ほほほ、賞《ほ》めまするに税は立たず、これは柳橋も新橋も御存じでいらっしゃいましょう、旦那様のお前で出まかせなことを失礼な。」
 小山判事は苦笑をして、
「串戯《じょうだん》をいっては不可《いか》ん、私は学生だよ。」
「あら、あんなことをおっしゃって、貴方《あなた》は何ぞの先生様でいらっしゃいますよ。」
「まあその娘がどうしたというのだ。」と小山は胡坐《あぐら》をどっかりと組直した。
 落着いて聞いてくれそうな様子を見て取り、婆さんは嬉しそうに、
「何にいたせ、ちっとでもお心に留っておりますなら可哀そうだと思ってやって下さいまし。こうやってお傍《そば》でお話をいたしますのは今日がはじめて。私《わたくし》どもへお休み下さいましたのはたった二度なんでございますけれども、他《ほか》に誰も居《お》りませず、ちょうどあの娘《こ》が来合せました時でよくお顔を存じておりますし、それにこう申してはいかがでございますが、旦那様もあの娘《こ》を覚えていらっしゃいますように存じます。これも佳《い》い娘《こ》だと思いまする年寄の慾目《よくめ》、人ごとながら自惚《うぬぼれ》でございましょう、それで附かぬことをお話し申しますようではございますけれども旦那様、後生でございます、可哀相だと思ってやって下さりまし。」と繰返してまた言った。かく可哀相だと思ってやれと、色に憂《うれい》を帯びて同情を求めること三たびであるから、判事は思わず胸が騒いで幽《かすか》に肉《ししむら》の動くのを覚えた。
 向島《むこうじま》のうら枯《がれ》さえ見に行《ゆ》く人もないのに、秋の末の十二社、それはよし、もの好《ずき》として差措《さしお》いても、小山にはまだ令室のないこと、並びに今も来る途中、朋友なる給水工場の重役の宅で一盞《いっさん》すすめられて杯の遣取《やりとり》をする内に、娶《めと》るべき女房の身分に就いて、忠告と意見とが折合ず、血気の論とたしなめられながらも、耳朶《みみたぶ》を赤うするまでに、たといいかなるものでも、社会の階級の何種に属する女でも乃公《だいこう》が気に入ったものをという主張をして、華族でも、士族でも、町家の娘でも、令嬢でもたとい小間使でもと言ったことをここに断っておかねばならぬ。
 何かしら絆《きずな》が搦《から》んでいるらしい、判事は、いずれ不祥のことと胸を――色も変ったよう、
「どうかしたのかい、」と少しせき込んだが、いう言葉に力が入った。
「煩っておりますので、」
「何、煩って、」
「はい、煩っておりますのでございますが。……」
「良《い》い医者にかけなけりゃ不可《いか》んよ。どんな病気だ、ここいらは田舎だから、」とつい通《とおり》の人のただ口さきを合せる一応の挨拶のごときものではない。
 婆さんも張合のあることと思入った形で、
「折入って旦那様に聞いてやって頂きたいので、委《くわ》しく申上げませんと解りません、お可煩《うるさ》くなりましたら、面倒だとおっしゃって下さりまし、直ぐとお茶にいたしてしまいまする。
 あの娘《こ》は阿米《およね》といいましてちょうど十八になりますが、親なしで、昨年《きょねん》の春まで麹町《こうじまち》十五丁目辺で、旦那様、榎《えのき》のお医者といって評判の漢方の先生、それが伯父御に当ります、その邸《やしき》で世話になって育ちましたそうでございます。
 門の屋根を突貫いた榎の大木が、大層名高いのでございますが、お医者はど
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