ういたしてかちっとも流行らないのでございましたッて。」

       四

「流行りません癖に因果と貴方《あなた》ね、」と口もやや馴々《なれなれ》しゅう、
「お米の容色《きりょう》がまた評判でございまして、別嬪《べっぴん》のお医者、榎の先生と、番町辺、津の守坂下《かみざかした》あたりまでも皆《みんな》が言囃《いいはや》しましたけれども、一向にかかります病人がございません。
 先生には奥様と男のお児《こ》が二人、姪《めい》のお米、外見を張るだけに女中も居ようというのですもの、お苦しかろうではございませんか。
 そこで、茨城の方の田舎とやらに病院を建てた人が、もっともらしい御容子《ごようす》を取柄に副院長にという話がありましたそうで、早速|家中《うちじゅう》それへ引越すことになりますと、お米さんでございます。
 世帯を片づけついでに、古い箪笥《たんす》の一棹《ひとさお》も工面をするからどちらへか片附いたらと、体《てい》の可いまあ厄介払に、その話がありましたが、あの娘《こ》も全く縁附く気はございませず、親身といっては他《ほか》になし、山の奥へでも一所にといいたい処を、それは遣繰《やりくり》の様子も知っておりますことなり、まだ嫁入はいたしたくございません、我儘《わがまま》を申しますようで恐入りますけれども、奉公がしとうございますと、まあこういうので。
 伯父御の方はどのみち足手まといさえなくなれば可《い》いのでございますよ、売れば五両にもなる箪笥だってお米につけないですむことですから、二ツ返事で呑込みました。
 あの容色《きりょう》で家《うち》の仇名《あだな》にさえなった娘《こ》を、親身を突放したと思えば薄情でございますが、切ない中を当節柄、かえってお堅い潔白なことではございませんかね、旦那様。
 漢方の先生だけに仕込んだ行儀もございます。ちょうど可い口があって住込みましたのが、唯今《ただいま》居《お》りまする、ついこの先のお邸で、お米は小間使をして、それから手が利きますので、お針もしておりますのでございますよ。」
「誰の邸だね。」
「はい、沢井さんといって旦那様は台湾のお役人だそうで、始終あっちへお詰め遊ばす、お留守は奥様、お老人《としより》はございませんが、余程の御大身だと申すことで、奉公人も他《ほか》に大勢、男衆も居《お》ります。お嬢様がお一方、お米さんが附きましてはちょいちょいこの池の緋鯉や目高に麩《ふ》を遣りにいらっしゃいますが、ここらの者はみんな姫様《ひいさま》々々と申しますよ。
 奥様のお顔も存じております、私《わたくし》がついお米と馴染《なじみ》になりましたので、お邸の前を通りますれば折節お台所口へ寄りましては顔を見て帰りますが、お米の方でも私《わたくし》どものようなものを、どう間違えたかお婆さんお婆さんと、一体|人懐《ひとなつこ》いのにまた格別に慕ってくれますので、どうやら他人とは思えません。」
 婆さんはこの時、滝登《たきのぼり》の懸物、柱かけの生花、月並の発句を書きつけた額などを静《しずか》に※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》したから、判事も釣込まれてなぜとはなくあたりを眺めた。
 向直って顔を見合せ、
「この家《うち》は旦那様、停車場《ステエション》前に旅籠屋《はたごや》をいたしております、甥《おい》のものでも私《わたくし》はまあその厄介でございます。夏この滝の繁昌《はんじょう》な時分はかえって貴方、邪魔もので本宅の方へ参っております、秋からはこうやって棄てられたも同然、私《わたくし》も姨捨山《おばすてやま》に居ります気で巣守《すもり》をしますのでざいましてね、いいえ、愚痴《ぐち》なことを申上げますのではございませんが、お米もそこを不便《ふびん》だと思ってくれますか、間を見てはちょこちょこと駆けて来て、袂《たもと》からだの、小風呂敷からだの、好《すき》なものを出して養ってくれます深切さ、」としめやかに語って、老《おい》の目は早や涙。

       五

 密《そっ》と、筒袖《つつそで》になっている襦袢《じゅばん》の端で目を拭《ぬぐ》い、
「それでございますから一日でも顔を見ませんと寂しくってなりません、そういうことになってみますると、役者だって贔屓《ひいき》なのには可い役がさしてみとうございましょう、立派な服装《みなり》がさせてみとうございましょう。ああ、叶屋《かのうや》の二階で田之助を呼んだ時、その男衆にやった一包の祝儀があったら、あのいじらしい娘に褄《つま》の揃ったのが着せられましょうものなぞと、愚痴も出ます。唯今の姿を罰《ばち》だと思って罪滅しに懺悔《ざんげ》ばなしもいいまする。私《わたくし》もこう申してはお恥かしゅうございますが、昔からこうばかりでもございません、それもこれも皆《みんな》なり行《ゆき》だと断念《あきら》めましても、断念められませんのはお米の身の上。
 二三日顔を見せませんから案じられます、逢いとうはございます、辛抱がし切れませんでちょっと沢井様のお勝手へ伺いますと、何|貴方《あなた》、お米は無事で、奥様も珍しいほど御機嫌のいい処、竹屋の婆さんが来たが、米や、こちらへお通し、とおっしゃると、あの娘《こ》もいそいそ、連れられて上りました。このごろ客が立て込んだが、今日は誰も来ず、天気は可《よ》し、早咲の菊を見ながらちょうどお八ツ時分と、お茶お菓子を下さいまして、私《わたくし》風情へいろいろと浮世話。
 お米も嬉しそうに傍《そば》についていてくれますなり、私はまるで貴方、嫁にやった先の姑《しゅうと》に里の親が優しくされますような気で、ほくほくものでおりました。
 何、米にかねがね聞いている、婆さんお前は心懸《こころがけ》の良《い》いものだというから、滅多に人にも話されない事だけれども、見せて上げよう。黄金《きん》が肌に着いていると、霧が身のまわり六尺だけは除《よ》けるとまでいうのだよ、とおっしゃってね。
 貴方五百円。
 台湾の旦那から送って来て、ちょうどその朝銀行で請取っておいでなすったという、ズッシリと重いのが百円ずつで都合五枚。
 お手箪笥の抽斗《ひきだし》から厚紙に包んだのをお出しなすって、私に頂かして下さいました。
 両手に据えて拝見をいたしましたが、何と申上げようもございませぬ。ただへいへいと申上げますと、どうだね、近頃出来たばかり、年号も今年のだよ、そういうのは昔だって見た事はあるまい、また見ようたって見せられないのだから、ゆっくり御覧、正直な年寄だというから内証で拝ませるのだよ。米や茶をさしておやり、と莞爾《にこ》ついておいで遊ばす。へへ、」と婆さんは薄笑《うすわらい》をした。
 判事は眉を顰《ひそ》めたのである、片腹痛さもかくのごときは沢山あるまい。
 婆さんは額の皺《しわ》を手で擦《さす》り、
「はや実《まこと》にお情深い、もっとも赤十字とやらのお顔利《かおきき》と申すこと、丸顔で、小造《こづくり》に、肥《ふと》っておいで遊ばす、血の気の多い方、髪をいつも西洋風にお結びなすって、貴方、その時なんぞは銀行からお帰り※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]々《そうそう》と見えまして、白襟で小紋のお召を二枚も襲《かさ》ねていらっしゃいまして、早口で弁舌の爽《さわやか》な、ちょこまかにあれこれあれこれ、始終|小刻《こきざみ》に体を動かし通し、気の働《はたらき》のあらっしゃるのは格別でございます、旦那様。」と上目づかい。
 判事は黙ってうなずいた。
 婆さんは唾《つ》をのんで、
「お米はいつもお情《なさけ》ない方だとばかり申しますが、それは貴方、女中達の箸《はし》の上げおろしにも、いやああだのこうだのとおっしゃるのも、欲《ほし》いだけ食べて胃袋を悪くしないようにという御深切でございましょうけれども、私《わたくし》は胃袋へ入ることよりは、腑《ふ》に落ちぬことがあるでございますよ。」

       六

「昨年《きょねん》のことで、妙にまたいとこはとこが搦《から》みますが、これから新宿の汽車や大久保、板橋を越しまして、赤羽へ参ります、赤羽の停車場《ステエション》から四人|詰《づめ》ばかりの小さい馬車が往復しまする。岩淵《いわぶち》の渡場《わたしば》手前に、姉の忰《せがれ》が、女房持で水呑百姓をいたしておりまして、しがない身上《みのうえ》ではありまするけれど、気立の可《い》い深切ものでございますから、私も当《あて》にはしないで心頼りと思うております。それへ久しぶりで不沙汰《ぶさた》見舞に参りますと、狭い処へ一晩泊めてくれまして、翌日《あくるひ》おひる過ぎ帰りがけに、貴方、納屋のわきにございます、柿を取って、土産を持って行きました風呂敷にそれを包んで、おばさん、詰らねえものを重くッても、持って行ッとくんなせえ。そのかわり私が志で、ここへわざと端銭《はしたぜに》をこう勘定して置きます、これでどうぞ腰の痛くねえ汽車の中等へ乗って、と割って出しましただけに心持が嬉しゅうございましょう。勿体ないがそれでは乗ろうよ。ああ、おばさん御機嫌ようと、女房も深切な。
 二人とも野良へ出がけ、それではお見送《みおくり》はしませんからと、跣足《はだし》のまま並んで門《かど》へ立って見ております。岩淵から引返して停車場《ステエション》へ来ますと、やがて新宿行のを売出します、それからこの服装《みなり》で気恥かしくもなく、切符を買ったのでございますが、一等二等は売出す口も違いますね、旦那様。
 人ごみの処をおしもおされもせず、これも夫婦の深切と、嬉しいにつけて気が勇みますので、臆面《おくめん》もなく別の待合へ入りましたが、誰も居《お》りません、あすこはまた一倍立派でございますね、西洋の緞子《どんす》みたような綾《あや》で張詰めました、腰をかけますとふわりと沈んで、爪尖《つまさき》がポンとこう、」
 婆さんは手を揃えて横の方で軽く払《はた》き、
「刎上《はねあが》りますようなのに控え込んで、どうまた度胸が据《すわ》りましたものか澄しております処へ、ばらばらと貴方、四五人入っておいでなすったのが、その沢井様の奥様の御同勢でございまして。
 いきなり卓子《テエブル》の上へショオルだの、信玄袋だのがどさどさと並びますと、連《つれ》の若い男の方が鉄砲をどしりとお乗せなすった。銃口《つつぐち》が私《わたくし》の胸の処へ向きましたものでございますから、飛上って旦那様、目もくらみながらお辞儀をいたしますると、奥様のお声で、
 おやお婆さん、ここは上等の待合室なんだよ、とどうでしょう……こうでございます。
 人の胃袋の加減や腹工合はどうであろうと、私が腑《ふ》に落ちないと申しますのはここなんでございますが、その時はただもう冷汗びッしょり、穴へでも入りたい気になりまして、しおしお片隅の氷のような腰掛へ下りました。
 後馳《おくれば》せにつかつかと小走《こばしり》に入りましたのが、やっぱりお供の中《うち》だったと見えまする、あのお米で。
 卓子を取巻きまして御一家《ごいっけ》がずらりと、お米が姫様《ひいさま》と向う正面にあいている自分の坐る処へ坐らないで、おや、あなたあいておりますよ、もし、こちらへお懸けなさいましな、冷えますから、と旦那様。」
 婆さんはまた涙含《なみだぐ》んで、
「袂《たもと》から出した手巾《ハンケチ》を、何とそのまあ結構な椅子に掴《つかま》りながら、人込の塵埃《ほこり》もあろうと払《はた》いてくれましたろうではございませんか、私が、あの娘《こ》に知己《ちかづき》になりましたのはその時でございました。」
 待て、判事がお米を見たのもまたそれがはじめてであった。

       七

 婆さんは過日《いつか》己《おの》が茶店にこの紳士の休んだ折、不意にお米が来合せたことばかりを知っているが――知らずやその時、同一《おなじ》赤羽の停車場《ステエション》に、沢井の一行が卓子《テエブル》を輪に囲んだのを、遠く離れ、帽子を目深《まぶか》に、外套《がいとう》の襟を立てて、件《くだん》の紫の
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