これも佳《い》い娘《こ》だと思いまする年寄の慾目《よくめ》、人ごとながら自惚《うぬぼれ》でございましょう、それで附かぬことをお話し申しますようではございますけれども旦那様、後生でございます、可哀相だと思ってやって下さりまし。」と繰返してまた言った。かく可哀相だと思ってやれと、色に憂《うれい》を帯びて同情を求めること三たびであるから、判事は思わず胸が騒いで幽《かすか》に肉《ししむら》の動くのを覚えた。
 向島《むこうじま》のうら枯《がれ》さえ見に行《ゆ》く人もないのに、秋の末の十二社、それはよし、もの好《ずき》として差措《さしお》いても、小山にはまだ令室のないこと、並びに今も来る途中、朋友なる給水工場の重役の宅で一盞《いっさん》すすめられて杯の遣取《やりとり》をする内に、娶《めと》るべき女房の身分に就いて、忠告と意見とが折合ず、血気の論とたしなめられながらも、耳朶《みみたぶ》を赤うするまでに、たといいかなるものでも、社会の階級の何種に属する女でも乃公《だいこう》が気に入ったものをという主張をして、華族でも、士族でも、町家の娘でも、令嬢でもたとい小間使でもと言ったことをここに断っておかねばならぬ。
 何かしら絆《きずな》が搦《から》んでいるらしい、判事は、いずれ不祥のことと胸を――色も変ったよう、
「どうかしたのかい、」と少しせき込んだが、いう言葉に力が入った。
「煩っておりますので、」
「何、煩って、」
「はい、煩っておりますのでございますが。……」
「良《い》い医者にかけなけりゃ不可《いか》んよ。どんな病気だ、ここいらは田舎だから、」とつい通《とおり》の人のただ口さきを合せる一応の挨拶のごときものではない。
 婆さんも張合のあることと思入った形で、
「折入って旦那様に聞いてやって頂きたいので、委《くわ》しく申上げませんと解りません、お可煩《うるさ》くなりましたら、面倒だとおっしゃって下さりまし、直ぐとお茶にいたしてしまいまする。
 あの娘《こ》は阿米《およね》といいましてちょうど十八になりますが、親なしで、昨年《きょねん》の春まで麹町《こうじまち》十五丁目辺で、旦那様、榎《えのき》のお医者といって評判の漢方の先生、それが伯父御に当ります、その邸《やしき》で世話になって育ちましたそうでございます。
 門の屋根を突貫いた榎の大木が、大層名高いのでございますが、お医者はどういたしてかちっとも流行らないのでございましたッて。」

       四

「流行りません癖に因果と貴方《あなた》ね、」と口もやや馴々《なれなれ》しゅう、
「お米の容色《きりょう》がまた評判でございまして、別嬪《べっぴん》のお医者、榎の先生と、番町辺、津の守坂下《かみざかした》あたりまでも皆《みんな》が言囃《いいはや》しましたけれども、一向にかかります病人がございません。
 先生には奥様と男のお児《こ》が二人、姪《めい》のお米、外見を張るだけに女中も居ようというのですもの、お苦しかろうではございませんか。
 そこで、茨城の方の田舎とやらに病院を建てた人が、もっともらしい御容子《ごようす》を取柄に副院長にという話がありましたそうで、早速|家中《うちじゅう》それへ引越すことになりますと、お米さんでございます。
 世帯を片づけついでに、古い箪笥《たんす》の一棹《ひとさお》も工面をするからどちらへか片附いたらと、体《てい》の可いまあ厄介払に、その話がありましたが、あの娘《こ》も全く縁附く気はございませず、親身といっては他《ほか》になし、山の奥へでも一所にといいたい処を、それは遣繰《やりくり》の様子も知っておりますことなり、まだ嫁入はいたしたくございません、我儘《わがまま》を申しますようで恐入りますけれども、奉公がしとうございますと、まあこういうので。
 伯父御の方はどのみち足手まといさえなくなれば可《い》いのでございますよ、売れば五両にもなる箪笥だってお米につけないですむことですから、二ツ返事で呑込みました。
 あの容色《きりょう》で家《うち》の仇名《あだな》にさえなった娘《こ》を、親身を突放したと思えば薄情でございますが、切ない中を当節柄、かえってお堅い潔白なことではございませんかね、旦那様。
 漢方の先生だけに仕込んだ行儀もございます。ちょうど可い口があって住込みましたのが、唯今《ただいま》居《お》りまする、ついこの先のお邸で、お米は小間使をして、それから手が利きますので、お針もしておりますのでございますよ。」
「誰の邸だね。」
「はい、沢井さんといって旦那様は台湾のお役人だそうで、始終あっちへお詰め遊ばす、お留守は奥様、お老人《としより》はございませんが、余程の御大身だと申すことで、奉公人も他《ほか》に大勢、男衆も居《お》ります。お嬢様がお一方、お米さんが附きまして
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