はちょいちょいこの池の緋鯉や目高に麩《ふ》を遣りにいらっしゃいますが、ここらの者はみんな姫様《ひいさま》々々と申しますよ。
 奥様のお顔も存じております、私《わたくし》がついお米と馴染《なじみ》になりましたので、お邸の前を通りますれば折節お台所口へ寄りましては顔を見て帰りますが、お米の方でも私《わたくし》どものようなものを、どう間違えたかお婆さんお婆さんと、一体|人懐《ひとなつこ》いのにまた格別に慕ってくれますので、どうやら他人とは思えません。」
 婆さんはこの時、滝登《たきのぼり》の懸物、柱かけの生花、月並の発句を書きつけた額などを静《しずか》に※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》したから、判事も釣込まれてなぜとはなくあたりを眺めた。
 向直って顔を見合せ、
「この家《うち》は旦那様、停車場《ステエション》前に旅籠屋《はたごや》をいたしております、甥《おい》のものでも私《わたくし》はまあその厄介でございます。夏この滝の繁昌《はんじょう》な時分はかえって貴方、邪魔もので本宅の方へ参っております、秋からはこうやって棄てられたも同然、私《わたくし》も姨捨山《おばすてやま》に居ります気で巣守《すもり》をしますのでざいましてね、いいえ、愚痴《ぐち》なことを申上げますのではございませんが、お米もそこを不便《ふびん》だと思ってくれますか、間を見てはちょこちょこと駆けて来て、袂《たもと》からだの、小風呂敷からだの、好《すき》なものを出して養ってくれます深切さ、」としめやかに語って、老《おい》の目は早や涙。

       五

 密《そっ》と、筒袖《つつそで》になっている襦袢《じゅばん》の端で目を拭《ぬぐ》い、
「それでございますから一日でも顔を見ませんと寂しくってなりません、そういうことになってみますると、役者だって贔屓《ひいき》なのには可い役がさしてみとうございましょう、立派な服装《みなり》がさせてみとうございましょう。ああ、叶屋《かのうや》の二階で田之助を呼んだ時、その男衆にやった一包の祝儀があったら、あのいじらしい娘に褄《つま》の揃ったのが着せられましょうものなぞと、愚痴も出ます。唯今の姿を罰《ばち》だと思って罪滅しに懺悔《ざんげ》ばなしもいいまする。私《わたくし》もこう申してはお恥かしゅうございますが、昔からこうばかりでもございません、それもこれも皆《みんな》なり行《ゆき》だと断念《あきら》めましても、断念められませんのはお米の身の上。
 二三日顔を見せませんから案じられます、逢いとうはございます、辛抱がし切れませんでちょっと沢井様のお勝手へ伺いますと、何|貴方《あなた》、お米は無事で、奥様も珍しいほど御機嫌のいい処、竹屋の婆さんが来たが、米や、こちらへお通し、とおっしゃると、あの娘《こ》もいそいそ、連れられて上りました。このごろ客が立て込んだが、今日は誰も来ず、天気は可《よ》し、早咲の菊を見ながらちょうどお八ツ時分と、お茶お菓子を下さいまして、私《わたくし》風情へいろいろと浮世話。
 お米も嬉しそうに傍《そば》についていてくれますなり、私はまるで貴方、嫁にやった先の姑《しゅうと》に里の親が優しくされますような気で、ほくほくものでおりました。
 何、米にかねがね聞いている、婆さんお前は心懸《こころがけ》の良《い》いものだというから、滅多に人にも話されない事だけれども、見せて上げよう。黄金《きん》が肌に着いていると、霧が身のまわり六尺だけは除《よ》けるとまでいうのだよ、とおっしゃってね。
 貴方五百円。
 台湾の旦那から送って来て、ちょうどその朝銀行で請取っておいでなすったという、ズッシリと重いのが百円ずつで都合五枚。
 お手箪笥の抽斗《ひきだし》から厚紙に包んだのをお出しなすって、私に頂かして下さいました。
 両手に据えて拝見をいたしましたが、何と申上げようもございませぬ。ただへいへいと申上げますと、どうだね、近頃出来たばかり、年号も今年のだよ、そういうのは昔だって見た事はあるまい、また見ようたって見せられないのだから、ゆっくり御覧、正直な年寄だというから内証で拝ませるのだよ。米や茶をさしておやり、と莞爾《にこ》ついておいで遊ばす。へへ、」と婆さんは薄笑《うすわらい》をした。
 判事は眉を顰《ひそ》めたのである、片腹痛さもかくのごときは沢山あるまい。
 婆さんは額の皺《しわ》を手で擦《さす》り、
「はや実《まこと》にお情深い、もっとも赤十字とやらのお顔利《かおきき》と申すこと、丸顔で、小造《こづくり》に、肥《ふと》っておいで遊ばす、血の気の多い方、髪をいつも西洋風にお結びなすって、貴方、その時なんぞは銀行からお帰り※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]々《そうそう》と見えまして、白襟で小紋のお召を二枚も襲《かさ
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