い》をお頼み遊ばすことになりました。
 府中の白雲山の庵室へ、佐助がお使者に立ったとやら。一日|措《お》いて沢井様へ参りましたそうでございます。そしてこれはお米から聞いた話ではございません、爺をお招きになりましたことなんぞ、私はちっとも存じないでおりますと、ちょうどその卜《うらない》を立てた日の晩方でございます。
 旦那様、貴下《あなた》が桔梗《ききょう》の花を嗅《か》いでる処を御覧じゃりましたという、吉《きち》さんという植木屋の女房《かみさん》でございます。小体《こてい》な暮しで共稼ぎ、使歩行《つかいあるき》やら草取やらに雇われて参るのが、稼《かせぎ》の帰《かえり》と見えまして、手甲脚絆《てっこうきゃはん》で、貴方、鎌を提げましたなり、ちょこちょこと寄りまして、
(お婆さん今日は不思議なことがありました。沢井様の草刈に頼まれて朝|疾《はや》くからあちらへ上って働いておりますと、五百円のありかを卜《うらな》うのだといって、仁右衛門爺さんが、八時頃に遣って来て、お金子《かね》が紛失したというお居室《いま》へ入って、それから御祈祷《ごきとう》がはじまるということ、手を休めてお庭からその一室《ひとま》の方《かた》を見ておりました。何をしたか分りません、障子|襖《ふすま》は閉切ってございましたっけ、ものの小半時|経《た》ったと思うと、見ていた私は吃驚《びっくり》して、地震だ地震だ、と極《きまり》の悪い大声を立てましたわ、何の事はない、お居間の瓦屋根が、波を打って揺れましたもの、それがまた目まぐるしく大揺れに揺れて、そのままひッそり静まりましたから、縁側の処へ駆けつけて、ちょうど出て参りましたお勢さんという女中に、酷《ひど》い地震でございましたね、と謂いますとね、けげんな顔をして、へい、と謂ったッきり、気《け》もないことなんで、奇代で奇代で。)とこう申すんでございましょう。」

       十五

「いかにも私だって地震があったとは思いません、その朝は、」
 と婆さんは振返って、やや日脚の遠退《とおの》いた座を立って、程過ぎて秋の暮方の冷たそうな座蒲団を見遣りながら、
「ねえ、旦那様、あすこに坐っておりましたが、風立ちもいたしませず、障子に音もございません、穏かな日なんですもの。
(変じゃあないか、女房《おかみ》さん、それはまたどうした訳だろう、)
(それが御祈祷をした仁右衛門爺さんの奇特でございます。沢井様でも誰も地震などと思った方はないのでして、ただ草を刈っておりました私の目にばかりお居間の揺れるのが見えたのでございます。大方神様がお寄んなすった験《しるし》なんでございましょうよ。案の定、お前さん、ちょうど祈祷の最中、思い合してみますれば、瓦が揺れたのを見ましたのとおなじ時、次のお座敷で、そのお勢というのに手伝って、床の間の柱に、友染の襷《たすき》がけで艶雑巾《つやぶきん》をかけていたお米という小間使が、ふっと掛花活《かけはないけ》の下で手を留めて、活けてありました秋草をじっと見ながら、顔を紅《べに》のようにしたということですよ。何か打合せがあって、密《そっ》と目をつけていたものでもあると見えます。お米はそのまんま、手が震えて、足がふらついて、わなわなして、急に熱でも出たように、部屋へ下って臥《ふせ》りましたそうな。お昼|過《すぎ》からは早や、お邸中寄ると触ると、ひそひそ話。
 高い声では謂われぬことだが、お金子《かね》の行先はちゃんと分った。しかし手証を見ぬことだから、膝下《ひざもと》へ呼び出して、長煙草《ながぎせる》で打擲《ひっぱた》いて、吐《ぬか》させる数《すう》ではなし、もともと念晴しだけのこと、縄着《なわつき》は邸内《やしきうち》から出すまいという奥様の思召し、また爺さんの方でも、神業《かみわざ》で、当人が分ってからが、表沙汰にはしてもらいたくないと、約束をしてかかった祈《いのり》なんだそうだから僥倖《しあわせ》さ。しかし太い了簡《りょうけん》だ、あの細い胴中《どうなか》を、鎖で繋《つな》がれる様《さま》が見たいと、女中達がいっておりました。ほんとうに女形が鬘《かつら》をつけて出たような顔色《かおつき》をしていながら、お米と謂うのは大変なものじゃあございませんか、悪党でもずっと四天《よてん》で出る方だね、私どもは聞いてさえ五百円!)とその植木屋の女房《かみさん》が饒舌《しゃべ》りました饒舌りました。
 旦那様もし貴方、何とお聞き遊ばして下さいますえ。」
 判事は右手《めて》のさきで、左の腕《かいな》を洋服の袖の上からしっかとおさえて、屹《きっ》とお幾の顔を見た。
「どう思召して下さいます、私《わたくし》は口が利けません、いいわけをするのさえ残念で堪《たま》りませんから碌《ろく》に返事もしないでおりますと、灯《あかり》をつ
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