寄って、縫物をしておりますと、外は見通しの畠、畦道《あぜみち》を馬も百姓も、往《い》ったり、来たりします処、どこで見当をつけましたものか、あの爺《じじい》のそのそ嗅《か》ぎつけて参りましてね、蚊遣《かやり》の煙がどことなく立ち渡ります中を、段々近くへ寄って来て、格子へつかまって例の通り、鼻の下へつッかい棒の杖をついて休みながら、ぬっとあのふやけ[#「ふやけ」に傍点]た色づいて薄赤い、てらてらする鼻の尖《さき》を突き出して、お米の横顔の処を嗅ぎ出したのでございますと。
 もうもう五宿の女郎の、油、白粉《おしろい》、襟垢《えりあか》の香《におい》まで嗅いで嗅いで嗅ぎためて、ものの匂で重量《おもり》がついているのでございますもの、夢中だって気勢《けはい》が知れます。
 それが貴方、明前《あかりさき》へ、突立《つった》ってるのじゃあございません、脊伸をしてからが大概人の蹲《しゃが》みます位なんで、高慢な、澄した今産れて来て、娑婆《しゃば》の風に吹かれたという顔色《かおつき》で、黙って、※[#「口+愛」、第3水準1−15−23]《おくび》をしちゃあ、クンクン、クンクン小さな法螺《ほら》の貝ほどには鳴《なら》したのでございます。
 麹室《こうじむろ》の中へ縛られたような何ともいわれぬ厭《いや》な気持で、しばらくは我慢をもしましたそうな。
 お米が気の弱い臆病ものの癖に、ちょっと癇持《かんもち》で、気に障ると直きつむりが疼《いた》み出すという風なんですから堪《たま》りませんや。
 それでもあの爺の、むかしむかしを存じておりますれば、劫《こう》経《へ》た私《わたくし》どもでさえ、向面《むこうづら》へ廻しちゃあ気味の悪い、人間には籍のないような爺、目を塞《ふさ》いで逃げますまでも、強《きつ》いことなんぞ謂《い》われたものではございませんが、そこはあの女《こ》は近頃こちらへ参りましたなり、破風口《はふぐち》から、=無事か=の一件なんざ、夢にも知りませず、また沢井様などでも誰もそんなことは存じません。
 串戯《じょうだん》にも、つけまわしている様子を、そんな事でも聞かせましたら、夜が寝られぬほど心持を悪くするだろうと思いますから、私もうっかりしゃべりませんでございますから、あの女《こ》はただ汚い変な乞食、親仁《おやじ》、あてにならぬ卜者《うらないしゃ》を、愚痴無智の者が獣《けだもの》を拝む位な信心をしているとばかり承知をいたしておりましたので、
(不可《いけ》ませんよ、不可ませんよ、)といっても、ぬッとしてクンクン。
(お前はうるさいね、)と手にしていた針の尖《さき》、指環《ゆびわ》に耳を突立《つった》てながら、ちょいと鼻頭《はながしら》を突いたそうでございます、はい。」
 といって婆さんは更《あらた》まった。

       十四

「洋犬《かめ》の妾《めかけ》になるだろうと謂われるほど、その緋の袴でなぶられるのを汚《けがら》わしがっていた、処女《むすめ》気で、思切ったことをしたもので、それで胸がすっきりしたといつか私《わたくし》に話しましたっけ。
 気味を悪がらせまいとは申しませんでしたが、ああこの女《こ》は飛んだことをおしだ、外のものとは違ってあのけたい[#「けたい」に傍点]親仁。
 蝮《まむし》の首を焼火箸《やけひばし》で突いたほどの祟《たたり》はあるだろう、と腹《おなか》じゃあ慄然《ぞっと》いたしまして、爺《じじい》はどうしたと聞きましたら、
(いいえ、やっぱりむずむずしてどこかへ行ってしまいました、それッきり、さっぱり見かけないんですよ。)と手柄顔に、お米は胸がすいたように申しましたが。
 なるほど、その後はしばらくこの辺へは立廻りません様子。しばらく影を見ませんから、それじゃあそれなりになったかしら。帳消しにはなるまいと思いながら、一日ましに私もちっとは気がかりも薄らぎました。
 そういたしますと今度の事、飛んでもない、旦那様、五百円紛失の一件で、前《ぜん》申しました沢井様へ出入の大八百屋が、あるじ自分で罷《まかり》出ましてさ、お金子《かね》の行方を、一番《ひとつ》、是非、だまされたと思って仁右衛門にみておもらいなさいまし、とたって、勧めたのでございますよ。
 どうして礼なんぞ遣《や》っては腹を立って祟《たたり》をします、ただ人助けに仕《つかまつ》りますることで、好《すき》でお籠《こもり》をして影も形もない者から聞いて来るのでございます、と悪気のない男ですが、とかく世話好の、何でも四文《しもん》とのみ込んで差出たがる親仁なんで、まめだって申上げたものですから、仕事はなし、新聞は五種《いついろ》も見ていらっしゃる沢井の奥様。
 内々その予言者だとかいうことを御存じなり、外に当《あたり》はつかず、旁々《かたがた》それでは、と早速|爺《じじ
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