したが、誰も居《お》りません、あすこはまた一倍立派でございますね、西洋の緞子《どんす》みたような綾《あや》で張詰めました、腰をかけますとふわりと沈んで、爪尖《つまさき》がポンとこう、」
婆さんは手を揃えて横の方で軽く払《はた》き、
「刎上《はねあが》りますようなのに控え込んで、どうまた度胸が据《すわ》りましたものか澄しております処へ、ばらばらと貴方、四五人入っておいでなすったのが、その沢井様の奥様の御同勢でございまして。
いきなり卓子《テエブル》の上へショオルだの、信玄袋だのがどさどさと並びますと、連《つれ》の若い男の方が鉄砲をどしりとお乗せなすった。銃口《つつぐち》が私《わたくし》の胸の処へ向きましたものでございますから、飛上って旦那様、目もくらみながらお辞儀をいたしますると、奥様のお声で、
おやお婆さん、ここは上等の待合室なんだよ、とどうでしょう……こうでございます。
人の胃袋の加減や腹工合はどうであろうと、私が腑《ふ》に落ちないと申しますのはここなんでございますが、その時はただもう冷汗びッしょり、穴へでも入りたい気になりまして、しおしお片隅の氷のような腰掛へ下りました。
後馳《おくれば》せにつかつかと小走《こばしり》に入りましたのが、やっぱりお供の中《うち》だったと見えまする、あのお米で。
卓子を取巻きまして御一家《ごいっけ》がずらりと、お米が姫様《ひいさま》と向う正面にあいている自分の坐る処へ坐らないで、おや、あなたあいておりますよ、もし、こちらへお懸けなさいましな、冷えますから、と旦那様。」
婆さんはまた涙含《なみだぐ》んで、
「袂《たもと》から出した手巾《ハンケチ》を、何とそのまあ結構な椅子に掴《つかま》りながら、人込の塵埃《ほこり》もあろうと払《はた》いてくれましたろうではございませんか、私が、あの娘《こ》に知己《ちかづき》になりましたのはその時でございました。」
待て、判事がお米を見たのもまたそれがはじめてであった。
七
婆さんは過日《いつか》己《おの》が茶店にこの紳士の休んだ折、不意にお米が来合せたことばかりを知っているが――知らずやその時、同一《おなじ》赤羽の停車場《ステエション》に、沢井の一行が卓子《テエブル》を輪に囲んだのを、遠く離れ、帽子を目深《まぶか》に、外套《がいとう》の襟を立てて、件《くだん》の紫の
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