ゃ》なもので、小鯛《こだい》には骨が多い、柳鰈《やなぎがれい》の御馳走《ごちそう》を思出すと、ああ、酒と煙草《たばこ》は、さるにても極りが悪い。
 其角《きかく》句あり。――もどかしや雛に対して小盃《こさかずき》。
 あの白酒を、ちょっと唇につけた処《ところ》は、乳《ちち》の味がしはしないかと思う……ちょっとですよ。
 ――構わず注《つ》ぎねえ。
 なんかで、がぶがぶ遣《や》っちゃ話にならない。
 金岡《かなおか》の萩《はぎ》の馬、飛騨《ひだ》の工匠《たくみ》の竜《りゅう》までもなく、電燈を消して、雪洞《ぼんぼり》の影に見参らす雛の顔は、実際、唯《と》瞻《み》れば瞬《またた》きして、やがて打微笑《うちほほえ》む。人の悪い官女のじろりと横目で見るのがある。――壇の下に寝ていると、雛の話声《はなしごえ》が聞える、と小児《こども》の時に聞いたのを、私は今も疑いたくない。
 で、家中《かちゅう》が寝静まると、何処《どこ》か一ケ所、小屏風《こびょうぶ》が、鶴の羽に桃を敷いて、すッと廻ろうも知れぬ。……御睦《おんむつ》ましさにつけても、壇に、余り人形の数の多いのは風情《ふぜい》がなかろう。
 但し、多いにも、少いにも、今私は、雛らしいものを殆ど持たぬ。母が大事にしたのは、母がなくなって後《のち》、町に大火があって皆焼けたのである。一度持出したとも聞くが、混雑に紛《まぎ》れて行方を知らない。あれほど気を入れていたのであるから、大方は例の車に乗って、雛たち、火を免れたのであろう、と思っている。
 その後こういう事があった。
 なおそれから十二、三年を過ぎてである。
 逗子《ずし》にいた時、静岡の町の光景《さま》が見たくって、三月の中《なか》ばと思う。一度|彼処《あすこ》へ旅をした。浅間《せんげん》の社《やしろ》で、釜《かま》で甘酒を売る茶店へ休んだ時、鳩と一所《いっしょ》に日南《ひなた》ぼっこをする婆さんに、阿部川《あべかわ》の川原《かわら》で、桜の頃は土地の人が、毛氈に重詰《じゅうづめ》もので、花の酒宴《さかもり》をする、と言うのを聞いた。――阿部川の道を訊《たず》ねたについてである。――都路《みやこじ》の唄につけても、此処《ここ》を府中《ふちゅう》と覚えた身には、静岡へ来て阿部川|餅《もち》を知らないでは済まぬ気がする。これを、おかしなものの異名だなぞと思われては困る。確かに、
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