たつ》のその姿を残して余白を真黄色に塗ったよう。二人の衣服《きもの》にも、手拭《てぬぐい》にも、襷《たすき》にも、前垂《まえだれ》にも、織っていたその機《はた》の色にも、聊《いささか》もこの色のなかっただけ、一入《ひとしお》鮮麗《あざやか》に明瞭に、脳中に描《えが》き出《いだ》された。
 勿論《もちろん》、描いた人物を判然《はっきり》と浮出《うきだ》させようとして、この彩色《さいしょく》で地《じ》を塗潰《ぬりつぶ》すのは、画《え》の手段に取って、是《ぜ》か、非《ひ》か、巧《こう》か、拙《せつ》か、それは菜の花の預《あずか》り知る処《ところ》でない。
 うっとりするまで、眼前《まのあたり》真黄色な中に、機織《はたおり》の姿の美しく宿った時、若い婦人《おんな》の衝《つ》と投げた梭《おさ》の尖から、ひらりと燃えて、いま一人の足下《あしもと》を閃《ひらめ》いて、輪になって一《ひと》ツ刎《は》ねた、朱《しゅ》に金色《こんじき》を帯びた一条《いちじょう》の線があって、赫燿《かくよう》として眼《まなこ》を射て、流《ながれ》のふちなる草に飛んだが、火の消ゆるが如くやがて失せた。
 赤楝蛇《やまかがし》が、菜種《なたね》の中を輝いて通ったのである。
 悚然《ぞっ》として、向直《むきなお》ると、突当《つきあた》りが、樹の枝から梢《こずえ》の葉へ搦《から》んだような石段で、上に、茅《かや》ぶきの堂の屋根が、目近《まぢか》な一朶《いちだ》の雲かと見える。棟《むね》に咲いた紫羅傘《いちはつ》の花の紫も手に取るばかり、峰のみどりの黒髪《くろかみ》にさしかざされた装《よそおい》の、それが久能谷《くのや》の観音堂《かんおんどう》。
 我が散策子は、其処《そこ》を志《こころざ》して来たのである。爾時《そのとき》、これから参ろうとする、前途《ゆくて》の石段の真下の処へ、殆《ほとん》ど路の幅一杯に、両側から押被《おっかぶ》さった雑樹《ぞうき》の中から、真向《まむき》にぬっと、大《おおき》な馬の顔がむくむくと湧《わ》いて出た。
 唯《ただ》見る、それさえ不意な上、胴体は唯一《ただひと》ツでない。鬣《たてがみ》に鬣が繋《つな》がって、胴に胴が重なって、凡《およ》そ五、六|間《けん》があいだ獣《けもの》の背である。
 咄嗟《とっさ》の間《かん》、散策子は杖《ステッキ》をついて立窘《たちすく》んだ。
 曲角《まがりかど》の青大将と、この傍《かたわら》なる菜の花の中の赤楝蛇《やまかがし》と、向うの馬の面《つら》とへ線を引くと、細長い三角形の只中《ただなか》へ、封じ籠められた形になる。
 奇怪なる地妖《ちよう》でないか。
 しかし、若悪獣囲繞《にゃくあくじゅういにょう》、利牙爪可怖《りげしょうかふ》も、※[#「虫+元」、16−3]蛇及蝮蝎《がんじゃぎゅうふくかつ》、気毒煙火燃《けどくえんかねん》も、薩陀《さった》彼処《かしこ》にましますぞや。しばらくして。……

       四

 のんきな馬士《まご》めが、此処《ここ》に人のあるを見て、はじめて、のっそり馬の鼻頭《はなづら》に顕《あらわ》れた、真正面《ましょうめん》から前後三頭一列に並んで、たらたら下《お》りをゆたゆたと来るのであった。
「お待遠《まちどお》さまでごぜえます。」
「はあ、お邪魔さまな。」
「御免《ごめん》なせえまし。」
 と三人、一人々々《ひとりひとり》声をかけて通るうち、流《ながれ》のふちに爪立《つまだ》つまで、細くなって躱《かわ》したが、なお大《おおい》なる皮の風呂敷に、目を包まれる心地であった。
 路《みち》は一際《ひときわ》細くなったが、かえって柔《やわら》かに草を踏んで、きりきりはたり、きりきりはたりと、長閑《のどか》な機《はた》の音に送られて、やがて仔細《しさい》なく、蒼空《あおぞら》の樹《こ》の間《ま》漏《も》る、石段の下《もと》に着く。
 この石段は近頃すっかり修復が出来た。(従って、爪尖《つまさき》のぼりの路も、草が分れて、一筋《ひとすじ》明らさまになったから、もう蛇も出まい、)その時分は大破して、丁《ちょう》ど繕《つくろ》いにかかろうという折から、馬はこの段の下《した》に、一軒、寺というほどでもない住職《じゅうしょく》の控家《ひかえや》がある、その背戸《せど》へ石を積んで来たもので。
 段を上《のぼ》ると、階子《はしご》が揺《ゆれ》はしまいかと危《あやぶ》むばかり、角《かど》が欠け、石が抜け、土が崩れ、足許も定まらず、よろけながら攀《よ》じ上《のぼ》った。見る見る、目の下の田畠《たはた》が小さくなり遠くなるに従うて、波の色が蒼《あお》う、ひたひたと足許に近づくのは、海を抱《いだ》いたかかる山の、何処《いずこ》も同じ習《ならい》である。
 樹立《こだ》ちに薄暗い石段の、石よりも堆《うずたか》い青苔《あおごけ》の中に、あの蛍袋《ほたるぶくろ》という、薄紫《うすむらさき》の差俯向《さしうつむ》いた桔梗《ききょう》科の花の早咲《はやざき》を見るにつけても、何となく湿《しめ》っぽい気がして、しかも湯滝《ゆだき》のあとを踏むように熱く汗ばんだのが、颯《さっ》と一風《ひとかぜ》、ひやひやとなった。境内《けいだい》はさまで広くない。
 尤《もっと》も、御堂《みどう》のうしろから、左右の廻廊《かいろう》へ、山の幕を引廻《ひきまわ》して、雑木《ぞうき》の枝も墨染《すみぞめ》に、其処《そこ》とも分《わ》かず松風《まつかぜ》の声。
 渚《なぎさ》は浪《なみ》の雪を敷いて、砂に結び、巌《いわお》に消える、その都度《つど》音も聞えそう、但《ただ》残惜《のこりおし》いまでぴたりと留《や》んだは、きりはたり機《はた》の音。
 此処《ここ》よりして見てあれば、織姫《おりひめ》の二人の姿は、菜種《なたね》の花の中ならず、蒼海原《あおうなばら》に描かれて、浪に泛《うか》ぶらん風情《ふぜい》ぞかし。
 いや、参詣《おまいり》をしましょう。
 五段の階《きざはし》、縁《えん》の下を、馬が駈け抜けそうに高いけれども、欄干《らんかん》は影も留《とど》めない。昔はさこそと思われた。丹塗《にぬり》の柱、花狭間《はなはざま》、梁《うつばり》の波の紺青《こんじょう》も、金色《こんじき》の竜《りゅう》も色さみしく、昼の月、茅《かや》を漏《も》りて、唐戸《からど》に蝶《ちょう》の影さす光景《ありさま》、古き土佐絵《とさえ》の画面に似て、しかも名工の筆意《ひつい》に合《かな》い、眩《まば》ゆからぬが奥床《おくゆか》しゅう、そぞろに尊く懐《なつか》しい。
 格子《こうし》の中は暗かった。
 戸張《とばり》を垂れた御廚子《みずし》の傍《わき》に、造花《つくりばな》の白蓮《びゃくれん》の、気高く俤《おもかげ》立つに、頭《こうべ》を垂れて、引退《ひきしりぞ》くこと二、三尺。心静かに四辺《あたり》を見た。
 合天井《ごうてんじょう》なる、紅々白々《こうこうはくはく》牡丹《ぼたん》の花、胡粉《ごふん》の俤《おもかげ》消え残り、紅《くれない》も散留《ちりとま》って、あたかも刻《きざ》んだものの如く、髣髴《ほうふつ》として夢に花園《はなぞの》を仰《あお》ぐ思いがある。
 それら、花にも台《うてな》にも、丸柱《まるばしら》は言うまでもない。狐格子《きつねごうし》、唐戸《からど》、桁《けた》、梁《うつばり》、※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》すものの此処《ここ》彼処《かしこ》、巡拝《じゅんぱい》の札《ふだ》の貼りつけてないのは殆どない。
 彫金《ほりきん》というのがある、魚政《うおまさ》というのがある、屋根安《やねやす》、大工鉄《だいてつ》、左官金《さかんきん》。東京の浅草《あさくさ》に、深川《ふかがわ》に。周防国《すおうのくに》、美濃《みの》、近江《おうみ》、加賀《かが》、能登《のと》、越前《えちぜん》、肥後《ひご》の熊本、阿波《あわ》の徳島。津々浦々《つつうらうら》の渡鳥《わたりどり》、稲負《いなおお》せ鳥《どり》、閑古鳥《かんこどり》。姿は知らず名を留《と》めた、一切の善男子《ぜんなんし》善女人《ぜんにょにん》。木賃《きちん》の夜寒《よさむ》の枕にも、雨の夜の苫船《とまぶね》からも、夢はこの処《ところ》に宿るであろう。巡礼たちが霊魂《たましい》は時々|此処《ここ》に来て遊《あす》ぼう。……おかし、一軒一枚の門札《もんふだ》めくよ。

       五

 一座の霊地《れいち》は、渠《かれ》らのためには平等利益《びょうどうりやく》、楽《たのし》く美しい、花園である。一度|詣《もう》でたらんほどのものは、五十里、百里、三百里、筑紫《つくし》の海の果《はて》からでも、思いさえ浮んだら、束《つか》の間《ま》に此処《ここ》に来て、虚空《こくう》に花降《はなふ》る景色を見よう。月に白衣《びゃくえ》の姿も拝もう。熱あるものは、楊柳《ようりゅう》の露の滴《したたり》を吸うであろう。恋するものは、優柔《しなやか》な御手《みて》に縋《すが》りもしよう。御胸《おんむね》にも抱《いだ》かれよう。はた迷える人は、緑の甍《いらか》、朱《あけ》の玉垣《たまがき》、金銀の柱、朱欄干《しゅらんかん》、瑪瑙《めのう》の階《きざはし》、花唐戸《はなからど》。玉楼金殿《ぎょくろうきんでん》を空想して、鳳凰《ほうおう》の舞う竜《たつ》の宮居《みやい》に、牡丹《ぼたん》に遊ぶ麒麟《きりん》を見ながら、獅子王《ししおう》の座に朝日影さす、桜の花を衾《ふすま》として、明月《めいげつ》の如き真珠を枕に、勿体《もったい》なや、御添臥《おんそいぶし》を夢見るかも知れぬ。よしそれとても、大慈大悲《だいじだいひ》、観世音《かんぜおん》は咎《とが》め給《たま》わぬ。
 さればこれなる彫金《ほりきん》、魚政《うおまさ》はじめ、此処《ここ》に霊魂の通《かよ》う証拠には、いずれも巡拝《じゅんぱい》の札《ふだ》を見ただけで、どれもこれも、女名前《おんななまえ》のも、ほぼその容貌と、風采《ふうさい》と、従ってその挙動までが、朦朧《もうろう》として影の如く目に浮ぶではないか。
 かの新聞で披露《ひろう》する、諸種の義捐金《ぎえんきん》や、建札《たてふだ》の表《ひょう》に掲示する寄附金の署名が写実である時に、これは理想であるといっても可《よ》かろう。
 微笑《ほほえ》みながら、一枚ずつ。
 扉の方へうしろ向けに、大《おおき》な賽銭箱《さいせんばこ》のこなた、薬研《やげん》のような破目《われめ》の入った丸柱《まるばしら》を視《なが》めた時、一枚|懐紙《かいし》の切端《きれはし》に、すらすらとした女文字《おんなもじ》。
[#天から4字下げ]うたゝ寐《ね》に恋しき人を見てしより
[#天から9字下げ]夢てふものは頼みそめてき
[#天から16字下げ]――玉脇《たまわき》みを――
 と優《やさ》しく美《うつくし》く書いたのがあった。
「これは御参詣で。もし、もし、」
 はッと心付くと、麻《あさ》の法衣《ころも》の袖《そで》をかさねて、出家《しゅっけ》が一人、裾短《すそみじか》に藁草履《わらぞうり》を穿《は》きしめて間近《まぢか》に来ていた。
 振向《ふりむ》いたのを、莞爾《にこ》やかに笑《え》み迎えて、
「些《ちっ》とこちらへ。」
 賽銭箱《さいせんばこ》の傍《わき》を通って、格子戸に及腰《およびごし》。
「南無《なむ》」とあとは口の裏《うち》で念じながら、左右へかたかたと静《しずか》に開けた。
 出家は、真直《まっす》ぐに御廚子《みずし》の前、かさかさと袈裟《けさ》をずらして、袂《たもと》からマッチを出すと、伸上《のびあが》って御蝋《おろう》を点じ、額《ひたい》に掌《たなそこ》を合わせたが、引返《ひきかえ》してもう一枚、彳《たたず》んだ人の前の戸を開けた。
 虫ばんだが一段高く、かつ幅の広い、部厚《ぶあつ》な敷居《しきい》の内に、縦に四畳《よじょう》ばかり敷かれる。壁の透間《すきま》を樹蔭《こかげ》はさすが、縁《へり》なしの畳《たたみ》は青々《あおあお》と新しかった。
 出家は、上に何《なん》にもない、小机
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