したその御仁《ごじん》が……お名は申しますまい。」
「それが可《よ》うございます。」
「唯《ただ》、客人――でお話をいたしましょう。その方《かた》が、庵室《あんじつ》に逗留中、夜分な、海へ入って亡《な》くなりました。」
「溺《おぼ》れたんですか、」
「と……まあ見えるでございます、亡骸《なきがら》が岩に打揚《うちあ》げられてござったので、怪我《けが》か、それとも覚悟の上か、そこは先《ま》ず、お聞取《ききと》りの上の御推察でありますが、私は前《ぜん》申す通り、この歌のためじゃようにな、」
「何しろ、それは飛んだ事です。」
「その客人が亡くなりまして、二月《ふたつき》ばかり過ぎてから、彼処《あすこ》へ、」
と二階家の遥《はるか》なのを、雲の上から蔽《おお》うよう、出家は法衣《ころも》の袖《そで》を上げて、
「細君が引越して来ましたので。恋じゃ、迷《まよい》じゃ、という一騒《ひとさわ》ぎござった時分は、この浜方《はまがた》の本宅に一家族、……唯今《ただいま》でも其処《そこ》が本家、まだ横浜にも立派な店《たな》があるのでありまして、主人は大方《おおかた》その方《ほう》へ参っておりましょうが。
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