]がたには、仏教、即《すなわ》ち偶像教でないように思召《おぼしめ》しが願いたい、御像《おすがた》の方は、高尚な美術品を御覧になるように、と存じて、つい御遊歩《ごゆうほ》などと申すような次第でございますよ。」
「いや、いや、偶像でなくってどうします。御姿《おすがた》を拝まないで、何を私《わたし》たちが信ずるんです。貴下《あなた》、偶像とおっしゃるから不可《いか》ん。
名がありましょう、一体ごとに。
釈迦《しゃか》、文殊《もんじゅ》、普賢《ふげん》、勢至《せいし》、観音《かんおん》、皆、名があるではありませんか。」
八
「唯《ただ》、人と言えば、他人です、何でもない。これに名がつきましょう。名がつきますと、父となります、母となり、兄となり、姉となります。そこで、その人たちを、唯《ただ》、人にして扱いますか。
偶像も同一《どういつ》です。唯《ただ》偶像なら何でもない、この御堂のは観世音《かんぜおん》です、信仰をするんでしょう。
じゃ、偶像は、木《き》、金《かね》、乃至《ないし》、土。それを金銀、珠玉《しゅぎょく》で飾り、色彩を装《よそお》ったものに過ぎないと言うんで
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