頻《しきり》に耳を傾けたが、
「さよう、如何《いか》にも、はあ、さよう。いや、私《わたくし》どもとても、堅く申せば思想界は大維新《だいいしん》の際《さい》で、中には神を見た、まのあたり仏《ぶつ》に接した、あるいは自《みず》から救世主であるなどと言う、当時の熊本の神風連《じんぷうれん》の如き、一揆《いっき》の起りましたような事も、ちらほら聞伝《ききつた》えてはおりますが、いずれに致せ、高尚な御議論、御研究の方《ほう》でござって、こちとらづれ出家がお守《も》りをする、偶像なぞは……その、」
 と言いかけて、密《そっ》と御廚子《みずし》の方《かた》を見た。
「作《さく》がよければ、美術品、彫刻物《ちょうこくもの》として御覧なさろうと言う世間。
 あるいは今後、仏教は盛《さかん》になろうも知れませんが、ともかく、偶像の方となりますると……その如何《いかが》なものでござろうかと……同一《おなじ》信仰にいたしてからが、御本尊《ごほんぞん》に対し、礼拝《らいはい》と申す方《かた》は、この前《さき》どうあろうかと存じまする。ははは、そこでございますから、自然、貴下《あたた》[#ルビの「あたた」はママ
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