の絵を見て、こりゃ出来が可《い》い、などと言い兼ねません。
 貴下方《あなたがた》が、到底|対手《あいて》にゃなるまいと思っておいでなさる、少《わか》い人たちが、かえって祖師《そし》に憧《あこ》がれてます。どうかして、安心立命《あんしんりつめい》が得たいと悶《もだ》えてますよ。中にはそれがために気が違うものもあり、自殺するものさえあるじゃありませんか。
 何でも構わない。途中で、ははあ、これが二十世紀の人間だな、と思うのを御覧なすったら、男子《おとこ》でも女子《おんな》でもですね、唐突《だしぬけ》に南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》と声をかけてお試しなさい。すぐに気絶するものがあるかも知れず、たちどころに天窓《あたま》を剃《そっ》て御弟子になりたいと言おうも知れず、ハタと手を拍《う》って悟るのもありましょう。あるいはそれが基《もと》で死にたくなるものもあるかも知れません。
 実際、串戯《じょうだん》ではない。そのくらいなんですもの。仏教はこれから法燈《ほうとう》の輝く時です。それだのに、何故《なぜ》か、貴下《あんた》がたが因循《いんじゅん》して引込思案《ひっこみじあん》でいらっしゃる。」

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