を見懸けます。背戸《せど》に近い百姓屋などは、漬物桶《つけものおけ》を置いたり、青物を活《い》けて重宝《ちょうほう》がる。で、幕を開けたからにはそれが舞台で。」

       二十二

「なるほど、そう思えば、舞台の前に、木の葉がばらばらと散《ちら》ばった中へ交《まじ》って、投銭《なげせん》が飛んでいたらしく見えたそうでございます。
 幕が開《あ》いた――と、まあ、言う体《てい》でありますが、さて唯《ただ》浅い、扁《ひらった》い、窪《くぼ》みだけで。何んの飾《かざり》つけも、道具だてもあるのではござらぬ。何か、身体《からだ》もぞくぞくして、余り見ていたくもなかったそうだが、自分を見懸けて、はじめたものを、他に誰一人いるではなし、今更《いまさら》帰るわけにもなりませんような羽目になったとか言って、懐中《かいちゅう》の紙入《かみいれ》に手を懸けながら、茫乎《ぼんやり》見ていたと申します。
 また、陰気な、湿《しめ》っぽい音《おん》で、コツコツと拍子木《ひょうしぎ》を打違《ぶっちが》える。
 やはりそのものの手から、ずうと糸が繋《つな》がっていたものらしい。舞台の左右、山の腹へ斜めにかかった、一幅《ひとはば》の白い靄《もや》が同じく幕でございました。むらむらと両方から舞台際《ぶたいぎわ》へ引寄せられると、煙が渦《うずま》くように畳まれたと言います。
 不細工ながら、窓のように、箱のように、黒い横穴が小さく一ツずつ三十五十と一側並《ひとかわなら》べに仕切ってあって、その中に、ずらりと婦人《おんな》が並んでいました。
 坐ったのもあり、立ったのもあり、片膝《かたひざ》立てたじだらくな姿もある。緋《ひ》の長襦袢《ながじゅばん》ばかりのもある。頬のあたりに血のたれているのもある。縛られているのもある、一目《ひとめ》見たが、それだけで、遠くの方は、小さくなって、幽《かすか》になって、唯《ただ》顔ばかり谷間《たにま》に白百合《しろゆり》の咲いたよう。
 慄然《ぞっ》として、遁《に》げもならない処《ところ》へ、またコンコンと拍子木《ひょうしぎ》が鳴る。
 すると貴下《あなた》、谷の方へ続いた、その何番目かの仕切の中から、ふらりと外へ出て、一人、小さな婦人《おんな》の姿が、音もなく歩行《ある》いて来て、やがてその舞台へ上《あが》ったでございますが、其処《そこ》へ来ると、並《なみ》の大きさの、しかも、すらりとした脊丈《せたけ》になって、しょんぼりした肩の処へ、こう、頤《おとがい》をつけて、熟《じっ》と客人の方を見向いた、その美しさ!
 正《まさ》しく玉脇の御新姐《ごしんぞ》で。」

       二十三

「寝衣《ねまき》にぐるぐると扱帯《しごき》を巻いて、霜《しも》のような跣足《はだし》、そのまま向うむきに、舞台の上へ、崩折《くずお》れたように、ト膝を曲げる。
 カンと木を入れます。
 釘《くぎ》づけのようになって立窘《たちすく》んだ客人の背後《うしろ》から、背中を摺《す》って、ずッと出たものがある。
 黒い影で。
 見物が他《た》にもいたかと思う、とそうではない。その影が、よろよろと舞台へ出て、御新姐《ごしんぞ》と背中合わせにぴったり坐った処《ところ》で、こちらを向いたでございましょう、顔を見ると自分です。」
「ええ!」
「それが客人御自分なのでありました。
 で、私《わたくし》へお話に、
(真個《ほんとう》なら、其処《そこ》で死ななければならんのでした、)
 と言って歎息《たんそく》して、真蒼《まっさお》になりましたっけ。
 どうするか、見ていたかったそうです。勿論《もちろん》、肉は躍《おど》り、血は湧《わ》いてな。
 しばらくすると、その自分が、やや身体《からだ》を捻《ね》じ向けて、惚々《ほれぼれ》と御新姐《ごしんぞ》の後姿を見入ったそうで、指の尖《さき》で、薄色の寝衣《ねまき》の上へ、こう山形に引いて、下へ一ツ、△を書いたでございますな、三角を。
 見ている胸はヒヤヒヤとして冷汗がびっしょりになる。
 御新姐《ごしんぞ》は唯《ただ》首垂《うなだ》れているばかり。
 今度は四角、□、を書きました。
 その男、即《すなわち》客人御自分が。
 御新姐《ごしんぞ》の膝にかけた指の尖《さき》が、わなわなと震えました……とな。
 三度目に、○、円《まる》いものを書いて、線の端《はし》がまとまる時、颯《さっ》と地を払って空へ抉《えぐ》るような風が吹くと、谷底の灯《ひ》の影がすっきり冴《さ》えて、鮮《あざや》かに薄紅梅《うすこうばい》。浜か、海の色か、と見る耳許《みみもと》へ、ちゃらちゃらと鳴ったのは、投げ銭と木《こ》の葉の摺《す》れ合う音で、くるくると廻った。
 気がつくと、四、五人、山のように背後《うしろ》から押被《おっかぶ》さって、何時《いつ》の間
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