はやし》の音は、草《くさ》一叢《ひとむら》、樹立《こだち》一畝《ひとうね》出さえすれば、直《じ》き見えそうに聞えますので。二足《ふたあし》が三足《みあし》、五足《いつあし》が十足《とあし》になって段々深く入るほど――此処《ここ》まで来たのに見ないで帰るも残惜《のこりおし》い気もする上に、何んだか、旧《もと》へ帰るより、前へ出る方が路《みち》も明《あかる》いかと思われて、些《ち》と急足《いそぎあし》になると、路も大分《だいぶん》上《のぼ》りになって、ぐいと伸上《のびあが》るように、思い切って真暗《まっくら》な中を、草を※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《むし》って、身を退《ひ》いて高い処《ところ》へ。ぼんやり薄明るく、地ならしがしてあって、心持《こころもち》、墓地の縄張《なわばり》の中ででもあるような、平《たいら》な丘の上へ出ると、月は曇ってしまったか、それとも海へ落ちたかという、一方は今来た路《みち》で向うは崕《がけ》、谷か、それとも浜辺かは、判然せぬが、底《そこ》一面《いちめん》に靄《もや》がかかって、その靄に、ぼうと遠方の火事のような色が映《うつ》っていて、篝《かがり》でも焼《た》いているかと、底《そこ》澄《す》んで赤く見える、その辺《あたり》に、太鼓《たいこ》が聞える、笛も吹く、ワアという人声がする。
如何《いか》にも賑《にぎや》かそうだが、さて何処《どこ》とも分らぬ。客人は、その朦朧《もうろう》とした頂《いただき》に立って、境《さかい》は接しても、美濃《みの》近江《おうみ》、人情も風俗も皆違う寝物語の里の祭礼《まつり》を、此処《ここ》で見るかと思われた、と申します。
その上、宵宮《よみや》にしては些《ち》と賑《にぎや》か過ぎる、大方|本祭《ほんまつり》の夜《よ》? それで人の出盛《でさか》りが通り過ぎた、よほど夜更《よふけ》らしい景色に視《なが》めて、しばらく茫然《ぼうぜん》としてござったそうな。
ト何んとなく、心《こころ》寂《さび》しい。路《みち》もよほど歩行《ある》いたような気がするので、うっとり草臥《くたび》れて、もう帰ろうかと思う時、その火気《かき》を包んだ靄《もや》が、こう風にでも動くかと覚えて、谷底から上へ、裾《すそ》あがりに次第に色が濃《こ》うなって、向うの山かけて映る工合《ぐあい》が直《じ》き目の前で燃している景色――最《もっと》も靄《もや》に包まれながら――
そこで、何か見極《みきわ》めたい気もして、その平地《ひらち》を真直《まっすぐ》に行《ゆ》くと、まず、それ、山の腹が覗《のぞ》かれましたわ。
これはしたり! 祭礼《まつり》は谷間《たにま》の里からかけて、此処《ここ》がそのとまりらしい。見た処《ところ》で、薄くなって段々に下へ灯影《ひかげ》が濃くなって次第に賑《にぎや》かになっています。
やはり同一《おんなじ》ような平《たいら》な土で、客人のござる丘と、向うの丘との中に箕《み》の形になった場所。
爪尖《つまさき》も辷《すべ》らず、静《しずか》に安々《やすやす》と下りられた。
ところが、箕《み》の形の、一方はそれ祭礼《まつり》に続く谷の路《みち》でございましょう。その谷の方に寄った畳なら八畳ばかり、油が広く染《にじ》んだ体《てい》に、草がすっぺりと禿《は》げました。」
といいかけて、出家は瀬戸物《せともの》の火鉢を、縁《えん》の方へ少しずらして、俯向《うつむ》いて手で畳を仕切った。
「これだけな、赤地《あかじ》の出た上へ、何かこうぼんやり踞《うずくま》ったものがある。」
ト足を崩してとかくして膝に手を置いた。
思わず、外《と》の方《かた》を見た散策子は、雲のやや軒端《のきば》に近く迫るのを知った。
「手を上げて招いたと言います――ゆったりと――行《ゆ》くともなしに前へ出て、それでも間《あいだ》二、三|間《げん》隔《へだた》って立停《たちど》まって、見ると、その踞《うずくま》ったものは、顔も上げないで俯向《うつむ》いたまま、股引《ももひき》ようのものを穿《は》いている、草色《くさいろ》の太い胡坐《あぐら》かいた膝の脇に、差置《さしお》いた、拍子木《ひょうしぎ》を取って、カチカチと鳴らしたそうで、その音が何者か歯を噛合《かみあ》わせるように響いたと言います。
そうすると、」
「はあ、はあ、」
「薄汚れた帆木綿《ほもめん》めいた破穴《やれあな》だらけの幕が開《あ》いたて、」
「幕が、」
「さよう。向う山の腹へ引いてあったが、やはり靄《もや》に見えていたので、そのものの手に、綱が引いてあったと見えます、踞《うずくま》ったままで立ちもせんので。
窪《くぼ》んだ浅い横穴じゃ。大きかったといいますよ。正面に幅一|間《けん》ばかり、尤《もっと》も、この辺にはちょいちょいそういうの
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