角兵衛がその獅子頭《ししがしら》の中に、封じて去ったのも気懸《きがか》りになる。為替《かわせ》してきらめくものを掴《つか》ませて、のッつ反《そ》ッつの苦患《くげん》を見せない、上花主《じょうとくい》のために、商売|冥利《みょうり》、随一《ずいいち》大切な処《ところ》へ、偶然|受取《うけと》って行ったのであろうけれども。
 あれがもし、鳥にでも攫《さら》われたら、思う人は虚空《こくう》にあり、と信じて、夫人は羽化《うか》して飛ぶであろうか。いやいや羊が食うまでも、角兵衛は再び引返《ひきかえ》してその音信《おとずれ》は伝えまい。
 従って砂を崩せば、従って手にたまった、色々の貝殻にフト目を留《と》めて、
[#天から4字下げ]君とまたみる目《め》おひせば四方《よも》の海《うみ》の……
と我にもあらず口ずさんだ。
 更に答えぬ。
 もしまたうつせ貝《がい》が、大いなる水の心を語り得るなら、渚に敷いた、いささ貝《がい》の花吹雪は、いつも私語《ささやき》を絶えせぬだろうに。されば幼児《おさなご》が拾っても、われらが砂から掘り出しても、このものいわぬは同一《おなじ》である。
 小貝《こがい》をそこで捨てた。
 そうして横ざまに砂に倒れた。腰の下はすぐになだれたけれども、辷《すべ》り落ちても埋《うも》れはせぬ。
 しばらくして、その半眼《はんがん》に閉じた目は、斜めに鳴鶴《なきつる》ヶ|岬《さき》まで線を引いて、その半ばと思う点へ、ひらひらと燃え立つような、不知火《しらぬい》にはっきり覚めた。
 とそれは獅子頭《ししがしら》の緋《ひ》の母衣《ほろ》であった。
 二人とも出て来た。浜は鳴鶴ヶ岬から、小坪《こつぼ》の崕《がけ》まで、人影一ツ見えぬ処《ところ》へ。
 停車場《ステイション》に演劇《しばい》がある、町も村も引っぷるって誰《たれ》が角兵衛に取合《とりあ》おう。あわれ人の中のぼうふらのような忙《せわ》しい稼業の児《こ》たち、今日はおのずから閑《かん》なのである。
 二人は此処《ここ》でも後《あと》になり先になり、脚絆《きゃはん》の足を入れ違いに、頭《かしら》を組んで白波《しらなみ》を被《かつ》ぐばかり浪打際《なみうちぎわ》を歩行《ある》いたが、やがてその大きい方は、五、六尺|渚《なぎさ》を放《はな》れて、日影の如く散乱《ちりみだ》れた、かじめの中へ、草鞋《わらじ》を突出《つきだ》して休んだ。
 小獅子は一層|活溌《かっぱつ》に、衝《つ》と浪を追う、颯《さっ》と追われる。その光景、ひとえに人の児《こ》の戯《たわむ》れるようには見えず、かつて孤児院の児が此処《ここ》に来て、一種の監督の下に、遊んだのを見たが、それとひとつで、浮世の浪に揉《も》み立てられるかといじらしい。但《ただ》その頭《かしら》の獅子が怒り狂って、たけり戦う勢《いきおい》である。
 勝《かつ》では可《よ》い!
 ト草鞋《わらじ》を脱いで、跣足《はだし》になって横歩行《よこあるき》をしはじめた。あしを濡らして遊んでいる。
 大きい方は仰向《あおむ》けに母衣《ほろ》を敷いて、膝を小さな山形に寝た。
 磯《いそ》を横ッ飛《とび》の時は、その草鞋《わらじ》を脱いだばかりであったが、やがて脚絆《きゃはん》を取って、膝まで入って、静かに立っていたと思うと、引返《ひきかえ》して袴《はかま》を脱いで、今度は衣類《きもの》をまくって腰までつかって、二、三度|密《そっ》と潮《しお》をはねたが、またちょこちょこと取って返して、頭《かしら》を刎退《はねの》け、衣類《きもの》を脱いで、丸裸になって一文字に飛込《とびこ》んだ。陽気はそれでも可《よ》かったが、泳ぎは知らぬ児《こ》と見える。唯《ただ》勢《いきおい》よく、水を逆に刎《は》ね返した。手でなぐって、足で踏むを、海水は稲妻《いなずま》のように幼児《おさなご》を包んでその左右へ飛んだ。――雫《しずく》ばかりの音もせず――獅子はひとえに嬰児《みどりご》になった、白光《びゃくこう》は頭《かしら》を撫《な》で、緑波《りょくは》は胸を抱《いだ》いた。何らの寵児《ちょうじ》ぞ、天地《あめつち》の大きな盥《たらい》で産湯《うぶゆ》を浴びるよ。
 散策子はむくと起きて、ひそかにその幸福を祝するのであった。
 あとで聞くと、小児心《こどもごころ》にもあまりの嬉《うれ》しさに、この一幅《いっぷく》の春の海に対して、報恩《ほうおん》の志《こころざし》であったという。一旦《いったん》出て、浜へ上って、寝た獅子の肩の処《ところ》へしゃがんでいたが、対手《あいて》が起返《おきかえ》ると、濡れた身体《からだ》に、頭《かしら》だけ取って獅子を被《かつ》いだ。
 それから更に水に入った。些《ち》と出過《ですぎ》たと思うほど、分けられた波の脚《あし》は、二線《ふたすじ》長く広く尾を引いて、小獅子の姿は伊豆《いず》の岬に、ちょと小さな点になった。
 浜にいるのが胡坐《あぐら》かいたと思うと、テン、テン、テンテンツツテンテンテン波に丁《ちょう》と打込《うちこ》む太鼓、油のような海面《うなづら》へ、綾《あや》を流して、響くと同時に、水の中に立ったのが、一曲、頭《かしら》を倒《さかさま》に。
 これに眩《めくる》めいたものであろう、※[#「口+阿」、第4水準2−4−5]呀《あな》忌《いま》わし、よみじの(ことづけ)を籠《こ》めたる獅子を、と見る内に、幼児《おさなご》は見えなくなった。
 まだ浮ばぬ。
 太鼓が止《や》んで、浜なるは棒立ちになった。
 砂山を慌《あわただ》しく一文字に駈けて、こなたが近《ちかづ》いた時、どうしたのか、脱ぎ捨てた袴《はかま》、着物、脚絆《きゃはん》、海草の乾《から》びた状《さま》の、あらゆる記念《かたみ》と一緒に、太鼓も泥草鞋《どろわらじ》も一《ひと》まとめに引《ひっ》かかえて、大きな渠《かれ》は、砂煙《すなけむり》を上げて町の方《かた》へ一散《いっさん》に遁《に》げたのである。
 浪《なみ》はのたりと打つ。
 ハヤ二、三人駈けて来たが、いずれも高声《たかごえ》の大笑い、
「馬鹿な奴だ。」
「馬鹿野郎。」
 ポクポクと来た巡査に、散策子が、縋《すが》りつくようにして、一言《ひとこと》いうと、
「角兵衛が、ははは、そうじゃそうで。」
 死骸《しがい》はその日|終日《ひねもす》見当らなかったが、翌日しらしらあけの引潮《ひきしお》に、去年の夏、庵室《あんじつ》の客が溺れたとおなじ鳴鶴《なきつる》ヶ|岬《さき》の岩に上《あが》った時は二人であった。顔が玉《たま》のような乳房《ちぶさ》にくッついて、緋母衣《ひほろ》がびっしょり、その雪の腕《かいな》にからんで、一人は美《び》にして艶《えん》であった。玉脇の妻は霊魂《れいこん》の行方《ゆくえ》が分ったのであろう。
 さらば、といって、土手の下で、分れ際《ぎわ》に、やや遠ざかって、見返った時――その紫の深張《ふかばり》を帯のあたりで横にして、少し打傾《うちかたむ》いて、黒髪《くろかみ》の頭《かしら》おもげに見送っていた姿を忘れぬ。どんなに潮《うしお》に乱れたろう。渚《なぎさ》の砂は、崩しても、積る、くぼめば、たまる、音もせぬ。ただ美しい骨が出る。貝の色は、日の紅《くれない》、渚の雪、浪《なみ》の緑。



底本:「春昼・春昼後刻」岩波文庫
   1987(昭和62)年4月16日第1刷発行
   1999(平成11)年7月5日第19刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第十卷」岩波書店
   1940(昭和15)年5月
初出:「新小説」
   1906(明治39)年12月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※章番号は「春昼」から連続しています。
入力:小林繁雄
校正:平野彩子、土屋隆
2006年7月18日作成
青空文庫作成ファイル:
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