だ。陽気はそれでも可《よ》かったが、泳ぎは知らぬ児《こ》と見える。唯《ただ》勢《いきおい》よく、水を逆に刎《は》ね返した。手でなぐって、足で踏むを、海水は稲妻《いなずま》のように幼児《おさなご》を包んでその左右へ飛んだ。――雫《しずく》ばかりの音もせず――獅子はひとえに嬰児《みどりご》になった、白光《びゃくこう》は頭《かしら》を撫《な》で、緑波《りょくは》は胸を抱《いだ》いた。何らの寵児《ちょうじ》ぞ、天地《あめつち》の大きな盥《たらい》で産湯《うぶゆ》を浴びるよ。
 散策子はむくと起きて、ひそかにその幸福を祝するのであった。
 あとで聞くと、小児心《こどもごころ》にもあまりの嬉《うれ》しさに、この一幅《いっぷく》の春の海に対して、報恩《ほうおん》の志《こころざし》であったという。一旦《いったん》出て、浜へ上って、寝た獅子の肩の処《ところ》へしゃがんでいたが、対手《あいて》が起返《おきかえ》ると、濡れた身体《からだ》に、頭《かしら》だけ取って獅子を被《かつ》いだ。
 それから更に水に入った。些《ち》と出過《ですぎ》たと思うほど、分けられた波の脚《あし》は、二線《ふたすじ》長く広く尾を引
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