ますが、私は何んだか、水になって、その溶けるのが消えて行《ゆ》きそうで涙が出ます、涙だって、悲しいんじゃありません、そうかと言って嬉《うれ》しいんでもありません。
 あの貴下《あなた》、叱《しか》られて出る涙と慰められて出る涙とござんすのね。この春の日に出ますのは、その慰められて泣くんです。やっぱり悲しいんでしょうかねえ。おなじ寂《さび》しさでも、秋の暮のは自然が寂しいので、春の日の寂しいのは、人が寂しいのではありませんか。
 ああ遣《や》って、田圃《たんぼ》にちらほら見えます人も、秋のだと、しっかりして、てんでんが景色の寂しさに負けないように、張合《はりあい》を持っているんでしょう。見た処《ところ》でも、しょんぼりした脚《あし》にも気が入っているようですけれど、今しがたは、すっかり魂《たましい》を抜き取られて、ふわふわ浮き上って、あのまま、鳥か、蝶々《ちょうちょう》にでもなりそうですね。心細いようですね。
 暖《あたたか》い、優《やさ》しい、柔《やわら》かな、すなおな風にさそわれて、鼓草《たんぽぽ》の花が、ふっと、綿《わた》になって消えるように魂《たましい》がなりそうなんですもの。極
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