。」
と逆寄《さかよ》せの決心で、そう言ったのをキッカケに、どかと土手の草へ腰をかけたつもりの処《ところ》、負けまい気の、魔《ま》ものの顔を見詰《みつ》めていたので、横ざまに落しつけるはずの腰が据《すわ》らず、床几《しょうぎ》を辷《すべ》って、ずるりと大地へ。
「あら、お危《あぶな》い。」
というが早いか、眩《まばゆ》いばかり目の前へ、霞《かすみ》を抜けた極彩色《ごくさいしき》。さそくに友染《ゆうぜん》の膝を乱して、繕《つくろ》いもなくはらりと折敷《おりし》き、片手が踏み抜いた下駄《げた》一ツ前壺《まえつぼ》を押して寄越《よこ》すと、扶《たす》け起すつもりであろう、片手が薄色の手巾《ハンケチ》ごと、ひらめいて芬《ぷん》と薫《かお》って、優《やさ》しく男の背《そびら》にかかった。
二十八
南無観世音大菩薩《なむかんぜおんだいぼさつ》………助けさせたまえと、散策子は心の裏《うち》、陣備《じんぞなえ》も身構《みがまえ》もこれにて粉《こな》になる。
「お足袋《たび》が泥だらけになりました、直《じ》き其処《そこ》でござんすから、ちょいとおいすがせ申しましょう。お脱《ぬ》ぎ遊ばせな。」
と指をかけようとする爪尖《つまさき》を、慌《あわただ》しく引込《ひっこ》ませるを拍子《ひょうし》に、体《たい》を引いて、今度は大丈夫《だいじょうぶ》に、背中を土手へ寝るばかり、ばたりと腰を懸《か》ける。暖《あたたか》い草が、ちりげもとで赫《かっ》とほてって、汗びっしょり、まっかな顔をしてかつ目をきょろつかせながら、
「構わんです、構わんです、こんな足袋《たび》なんぞ。」
ヤレまた落語の前座《ぜんざ》が言いそうなことを、とヒヤリとして、漸《やっ》と瞳《ひとみ》を定《さだ》めて見ると、美女《たおやめ》は刎飛《はねと》んだ杖《ステッキ》を拾って、しなやかに両手でついて、悠々《ゆうゆう》と立っている。
羽織《はおり》なしの引《ひっ》かけ帯《おび》、ゆるやかな袷《あわせ》の着こなしが、いまの身じろぎで、片前下《かたまえさが》りに友染《ゆうぜん》の紅《くれない》匂《にお》いこぼれて、水色縮緬《みずいろちりめん》の扱帯《しごき》の端《はし》、ややずり下《さが》った風情《ふぜい》さえ、杖《ステッキ》には似合わないだけ、あたかも人質に取られた形――可哀《かわい》や、お主《しゅう》の身
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