おやめ》は親しげに笑いかけて、
「ほほ、私《わたし》はもう災難と申します。災難ですわ、貴下《あなた》。あれが座敷へでも入りますか、知らないでいて御覧なさいまし、当分|家《うち》を明渡《あけわた》して、何処《どこ》かへ参らなければなりませんの。真個《ほんとう》にそうなりましたら、どうしましょう。お庇様《かげさま》で助《たすか》りましてございますよ。ありがとう存じます。」
「それにしても、私と極《き》めたのは、」
と思うことが思わず口へ出た。
これは些《ち》と調子はずれだったので、聞き返すように、
「ええ、」
二十七
「先刻《さっき》の、あの青大将《あおだいしょう》の事なんでしょう。それにしても、よく私だというのが分りましたね、驚きました。」
と棄鞭《すてむち》の遁構《にげがま》えで、駒の頭《かしら》を立直《たてなお》すと、なお打笑《うちえ》み、
「そりゃ知れますわ。こんな田舎《いなか》ですもの。そして御覧の通り、人通りのない処《ところ》じゃありませんか。
貴下《あなた》のような方《かた》の出入《ではいり》は、今朝《けさ》ッからお一人しかありませんもの。丁《ちゃん》と存じておりますよ。」
「では、あの爺《じい》さんにお聞きなすって、」
「否《いいえ》、私ども石垣の前をお通りがかりの時、二階から拝《おが》みました。」
「じゃあ、私が青大将を見た時に、」
「貴下《あなた》のお姿が楯《たて》におなり下さいましたから、爾時《そのとき》も、厭《いや》なものを見ないで済みました。」
と少し打傾《うちかたむ》いて懐《なつか》しそう。
「ですが、貴女《あなた》、」とうっかりいう、
「はい?」
と促《うな》がすように言いかけられて、ハタと行詰《ゆきつま》ったらしく、杖《ステッキ》をコツコツと瞬《またたき》一《ひと》ツ、唇を引緊《ひきし》めた。
追っかけて、
「何んでございますか、聞かして頂戴《ちょうだい》。」
と婉然《えんぜん》とする。
慌《あわ》て気味に狼狽《まご》つきながら、
「貴女《あなた》は、貴女《あなた》は気分が悪くって寝ていらっしゃるんだ、というじゃありませんか。」
「あら、こんなに甲羅《こうら》を干《ほ》しておりますものを。」
「へい、」と、綱《つな》は目《め》を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》って、ああ、我ながらまずい
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