なる、久能谷《くのや》のこの出口は、あたかも、ものの撞木《しゅもく》の形《なり》。前は一面の麦畠《むぎばたけ》。
 正面に、青麦《あおむぎ》に対した時、散策子の面《おもて》はあたかも酔えるが如きものであった。
 南無三宝《なむさんぼう》声がかかった。それ、言わぬことではない。
「…………」
 一散《いっさん》に遁《に》げもならず、立停《たちど》まった渠《かれ》は、馬の尾に油を塗って置いて、鷲掴《わしづか》みの掌《たなそこ》を辷《すべ》り抜けなんだを口惜《くちおし》く思ったろう。
「私《わたし》。」
 と振返って、
「ですかい、」と言いつつ一目《ひとめ》見たのは、頭《かしら》禿《かむろ》に歯《は》豁《あらわ》なるものではなく、日の光|射《さ》す紫のかげを籠《こ》めた俤《おもかげ》は、几帳《きちょう》に宿る月の影、雲の鬢《びんずら》、簪《かざし》の星、丹花《たんか》の唇、芙蓉《ふよう》の眦《まなじり》、柳の腰を草に縋《すが》って、鼓草《たんぽぽ》の花に浮べる状《さま》、虚空にかかった装《よそおい》である。
 白魚《しらお》のような指が、ちょいと、紫紺《しこん》の半襟《はんえり》を引き合わせると、美しい瞳《ひとみ》が動いて、
「失礼を……」
 と唯《ただ》莞爾《にっこり》する。
「はあ、」と言ったきり、腰のまわり、遁《に》げ路《みち》を見て置くのである。
「貴下《あなた》お呼び留《と》め申しまして、」
 とふっくりとした胸を上げると、やや凭《もた》れかかって土手に寝るようにしていた姿を前へ。
「はあ、何《なに》、」
 真正直《まっしょうじき》な顔をして、
「私ですか、」と空とぼける。
「貴下《あなた》のようなお姿だ、と聞きましてございます。先刻《せんこく》は、真《まこと》に御心配下さいまして、」
 徐《やお》ら、雪のような白足袋《しろたび》で、脱ぎ棄てた雪駄《せった》を引寄《ひきよ》せた時、友染《ゆうぜん》は一層はらはらと、模様の花が俤《おもかげ》に立って、ぱッと留南奇《とめき》の薫《かおり》がする。
 美女《たおやめ》は立直《たちなお》って、
「お蔭様《かげさま》で災難を、」
 と襟首《えりくび》を見せてつむりを下げた。
 爾時《そのとき》独武者《ひとりむしゃ》、杖《ステッキ》をわきばさみ、兜《かぶと》を脱いで、
「ええ、何んですかな、」と曖昧《あいまい》。
 美女《た
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