》だつた。が、按摩《あんま》は宜《よろ》しう、と縁側《えんがは》を這《は》つたのでない。此方《こちら》から呼《よ》んだので、術者《じゆつしや》は來診《らいしん》の氣組《きぐみ》だから苦情《くじやう》は言《い》へぬが驚《おどろ》いた。忽《たちま》ち、縣下《けんか》豐岡川《とよをかがは》の治水工事《ちすゐこうじ》、第一期《だいいつき》六百萬圓《ろつぴやくまんゑん》也《なり》、と胸《むね》を反《そ》らしたから、一《ひと》すくみに成《な》つて、内々《ない/\》期待《きたい》した狐狸《きつねたぬき》どころの沙汰《さた》でない。あの、潟《かた》とも湖《みづうみ》とも見《み》えた……寧《むし》ろ寂然《せきぜん》として沈《しづ》んだ色《いろ》は、大《おほい》なる古沼《ふるぬま》か、千年《ちとせ》百年《もゝとせ》ものいはぬ靜《しづ》かな淵《ふち》かと思《おも》はれた圓山川《まるやまがは》の川裾《かはすそ》には――河童《かつぱ》か、獺《かはうそ》は?……などと聞《き》かうものなら、はてね、然《さ》やうなものが鯨《くぢら》の餌《ゑさ》にありますか、と遣《や》りかねない勢《いきほひ》で。一《ひと》つ驚《おどろ》かされたのは、思《おも》ひのほか、魚《さかな》が結構《けつこう》だ、と云《い》つたのを嘲笑《あざわら》つて、つい津居山《つゐやま》の漁場《ぎよぢやう》には、鯛《たひ》も鱸《すゞき》もびち/\刎《は》ねて居《ゐ》ると、掌《てのひら》を肩《かた》で刎《は》ねた。よくせき土地《とち》が不漁《しけ》と成《な》れば、佐渡《さど》から新潟《にひがた》へ……と聞《き》いた時《とき》は、枕返《まくらがへ》し、と云《い》ふ妖怪《ばけもの》に逢《あ》つたも同然《どうぜん》、敷込《しきこ》んだ布團《ふとん》を取《と》つて、北《きた》から南《みなみ》へ引《ひつ》くりかへされたやうに吃驚《びつくり》した。旅《たび》で劍術《けんじゆつ》は出來《でき》なくても、學問《がくもん》があれば恁《か》うは駭《おどろ》くまい。だから學校《がくかう》を怠《なま》けては不可《いけな》い、從《したが》つて教《をそ》はつた事《こと》を忘《わす》れては不可《いけな》い、但馬《たじま》の圓山川《まるやまがは》の灌《そゝ》ぐのも、越後《ゑちご》の信濃川《しなのがは》の灌《そゝ》ぐのも、船《ふね》ではおなじ海《うみ》である。
私《わたし》は佐渡《さど》と云《い》ふ所《ところ》は、上野《うへの》から碓氷《うすひ》を越《こ》えて、雪《ゆき》の柏原《かしはばら》、關山《せきやま》、直江津《なほえつ》まはりに新潟邊《にひがたへん》から、佐渡《さど》は四十五里《しじふごり》波《なみ》の上《うへ》、と見《み》るか、聞《き》きかするものだ、と浮《うつか》りして居《ゐ》た。七日前《なぬかぜん》に東京驛《とうきやうえき》から箱根越《はこねごし》の東海道《とうかいだう》。――分《わか》つた/\――逗留《とうりう》した大阪《おほさか》を、今日《けふ》午頃《ひるごろ》に立《た》つて、あゝ、祖母《おばあ》さんの懷《ふところ》で昔話《むかしばなし》に聞《き》いた、栗《くり》がもの言《い》ふ、たんばの國《くに》。故《わざ》と下《お》りて見《み》た篠山《さゝやま》の驛《えき》のプラツトホームを歩行《ある》くのさへ、重疊《ちようでふ》と連《つらな》る山《やま》を見《み》れば、熊《くま》の背《せ》に立《た》つ思《おもひ》がした。酒顛童子《しゆてんどうじ》の大江山《おほえやま》。百人一首《ひやくにんいつしゆ》のお孃《ぢやう》さんの、「いくのの道《みち》」もそれか、と辿《たど》つて、はる/″\と來《き》た城崎《きのさき》で、佐渡《さど》の沖《おき》へ船《ふね》が飛《と》んで、キラリと飛魚《とびうを》が刎出《はねだ》したから、きたなくも怯《おびや》かされたのである。――晩《ばん》もお總菜《さうざい》に鮭《さけ》を退治《たいぢ》た、北海道《ほくかいだう》の産《さん》である。茶《ちや》うけに岡山《をかやま》のきび團子《だんご》を食《た》べた處《ところ》で、咽喉《のど》に詰《つま》らせる法《はふ》はない。これしかしながら旅《たび》の心《こゝろ》であらう。――
夜《よ》はやゝ更《ふ》けた。はなれの十疊《じふでふ》の奧座敷《おくざしき》は、圓山川《まるやまがは》の洲《す》の一處《ひとところ》を借《か》りたほど、森閑《しんかん》ともの寂《さび》しい。あの大川《おほかは》は、いく野《の》の銀山《ぎんざん》を源《みなもと》に、八千八谷《はつせんやたに》を練《ね》りに練《ね》つて流《なが》れるので、水《みづ》は類《たぐひ》なく柔《やはら》かに滑《なめらか》だ、と又《また》按摩《あんま》どのが今度《こんど》は聲《こゑ》を沈《しづ》めて話《はな》した。豐岡
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