》だつた。が、按摩《あんま》は宜《よろ》しう、と縁側《えんがは》を這《は》つたのでない。此方《こちら》から呼《よ》んだので、術者《じゆつしや》は來診《らいしん》の氣組《きぐみ》だから苦情《くじやう》は言《い》へぬが驚《おどろ》いた。忽《たちま》ち、縣下《けんか》豐岡川《とよをかがは》の治水工事《ちすゐこうじ》、第一期《だいいつき》六百萬圓《ろつぴやくまんゑん》也《なり》、と胸《むね》を反《そ》らしたから、一《ひと》すくみに成《な》つて、内々《ない/\》期待《きたい》した狐狸《きつねたぬき》どころの沙汰《さた》でない。あの、潟《かた》とも湖《みづうみ》とも見《み》えた……寧《むし》ろ寂然《せきぜん》として沈《しづ》んだ色《いろ》は、大《おほい》なる古沼《ふるぬま》か、千年《ちとせ》百年《もゝとせ》ものいはぬ靜《しづ》かな淵《ふち》かと思《おも》はれた圓山川《まるやまがは》の川裾《かはすそ》には――河童《かつぱ》か、獺《かはうそ》は?……などと聞《き》かうものなら、はてね、然《さ》やうなものが鯨《くぢら》の餌《ゑさ》にありますか、と遣《や》りかねない勢《いきほひ》で。一《ひと》つ驚《おどろ》かされたのは、思《おも》ひのほか、魚《さかな》が結構《けつこう》だ、と云《い》つたのを嘲笑《あざわら》つて、つい津居山《つゐやま》の漁場《ぎよぢやう》には、鯛《たひ》も鱸《すゞき》もびち/\刎《は》ねて居《ゐ》ると、掌《てのひら》を肩《かた》で刎《は》ねた。よくせき土地《とち》が不漁《しけ》と成《な》れば、佐渡《さど》から新潟《にひがた》へ……と聞《き》いた時《とき》は、枕返《まくらがへ》し、と云《い》ふ妖怪《ばけもの》に逢《あ》つたも同然《どうぜん》、敷込《しきこ》んだ布團《ふとん》を取《と》つて、北《きた》から南《みなみ》へ引《ひつ》くりかへされたやうに吃驚《びつくり》した。旅《たび》で劍術《けんじゆつ》は出來《でき》なくても、學問《がくもん》があれば恁《か》うは駭《おどろ》くまい。だから學校《がくかう》を怠《なま》けては不可《いけな》い、從《したが》つて教《をそ》はつた事《こと》を忘《わす》れては不可《いけな》い、但馬《たじま》の圓山川《まるやまがは》の灌《そゝ》ぐのも、越後《ゑちご》の信濃川《しなのがは》の灌《そゝ》ぐのも、船《ふね》ではおなじ海《うみ》である。
 私《わたし
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