手《て》を觸《ふ》れなかつたのは、濡《ぬ》れるのを厭《いと》つたのでない、波《なみ》を恐《おそ》れたのでない。圓山川《まるやまがは》の膚《はだ》に觸《ふ》れるのを憚《はゞか》つたのであつた。
 城崎《きのさき》は――今《いま》も恁《かく》の如《ごと》く目《め》に泛《うか》ぶ。

 こゝに希有《けう》な事《こと》があつた。宿《やど》にかへりがけに、客《きやく》を乘《の》せた俥《くるま》を見《み》ると、二臺三臺《にだいさんだい》、俥夫《くるまや》が揃《そろ》つて手《て》に手《て》に鐵棒《かなぼう》を一條《ひとすぢ》づゝ提《さ》げて、片手《かたて》で楫《かぢ》を壓《お》すのであつた。――煙草《たばこ》を買《か》ひながら聞《き》くと、土地《とち》に數《かず》の多《おほ》い犬《いぬ》が、俥《くるま》に吠附《ほえつ》き戲《ざ》れかゝるのを追拂《おひはら》ふためださうである。駄菓子屋《だぐわしや》の縁臺《えんだい》にも、船宿《ふなやど》の軒下《のきした》にも、蒲燒屋《かばやきや》の土間《どま》にも成程《なるほど》居《ゐ》たが。――言《い》ふうちに、飛《とび》かゝつて、三疋四疋《さんびきしひき》、就中《なかんづく》先頭《せんとう》に立《た》つたのには、停車場《ていしやば》近《ぢか》く成《な》ると、五疋《ごひき》ばかり、前後《ぜんご》から飛《と》びかゝつた。叱《しつ》、叱《しつ》、叱《しつ》! 畜生《ちくしやう》、畜生《ちくしやう》、畜生《ちくしやう》。俥夫《くるまや》が鐵棒《かなぼう》を振舞《ふりまは》すのを、橋《はし》に立《た》つて見《み》たのである。
 其《そ》の犬《いぬ》どもの、耳《みゝ》には火《ひ》を立《た》て、牙《きば》には火《ひ》を齒《は》み、焔《ほのほ》を吹《ふ》き、黒煙《くろけむり》を尾《を》に倦《ま》いて、車《くるま》とも言《い》はず、人《ひと》とも言《い》はず、炎《ほのほ》に搦《から》んで、躍上《をどりあが》り、飛蒐《とびかゝ》り、狂立《くるひた》つて地獄《ぢごく》の形相《ぎやうさう》を顯《あらは》したであらう、と思《おも》はず身《み》の毛《け》を慄立《よだ》てたのは、昨《さく》、十四年《じふよねん》五月《ごぐわつ》二十三日《にじふさんにち》十一時《じふいちじ》十分《じつぷん》、城崎《きのさき》豐岡《とよをか》大地震《おほぢしん》大火《たいくわ》の號外《がうぐわ
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