―住《すみ》の江丸《えまる》、濱鶴丸《はまづるまる》と大看板《おほかんばん》を上《あ》げたのは舟宿《ふなやど》である。丹後行《たんごゆき》、舞鶴行《まひづるゆき》――立《た》つて見《み》たばかりでも、退屈《たいくつ》の餘《あま》りに新聞《しんぶん》の裏《うら》を返《かへ》して、バンクバー、シヤトル行《ゆき》を睨《にら》むが如《ごと》き、情《じやう》のない、他人《たにん》らしいものではない。――蘆《あし》の上《うへ》をちら/\と舞《ま》ふ陽炎《かげろふ》に、袖《そで》が鴎《かもめ》になりさうで、遙《はるか》に色《いろ》の名所《めいしよ》が偲《しの》ばれる。手輕《てがる》に川蒸汽《かはじようき》でも出《で》さうである。早《は》や、その蘆《あし》の中《なか》に並《なら》んで、十四五艘《じふしごさう》の網船《あみぶね》、田船《たぶね》が浮《う》いて居《ゐ》た。
 どれかが、黄金《わうごん》の魔法《まはふ》によつて、雪《ゆき》の大川《おほかは》の翡翠《ひすゐ》に成《な》るらしい。圓山川《まるやまがは》の面《おもて》は今《いま》、こゝに、其《そ》の、のんどりと和《なご》み軟《やはら》いだ唇《くちびる》を寄《よ》せて、蘆摺《あしず》れに汀《みぎは》が低《ひく》い。彳《たゝず》めば、暖《あたゝか》く水《みづ》に抱《いだ》かれた心地《こゝち》がして、藻《も》も、水草《みづくさ》もとろ/\と夢《ゆめ》が蕩《とろ》けさうに裾《すそ》に靡《なび》く。おゝ、澤山《たくさん》な金魚藻《きんぎよも》だ。同町内《どうちやうない》の瀧君《たきくん》に、ひと俵《たはら》贈《おく》らうかな、……水上《みなかみ》さんは大《おほき》な目《め》をして、二七《にしち》の縁日《えんにち》に金魚藻《きんぎよも》を探《さが》して行《ゆ》く。……
 私《わたし》は海《うみ》の空《そら》を見《み》た。輝《かゞや》く如《ごと》きは日本海《につぽんかい》の波《なみ》であらう。鞍掛山《くらかけやま》、太白山《たいはくざん》は、黛《いれずみ》を左右《さいう》に描《ゑが》いて、來日《くるひ》ヶ峰《みね》は翠《みどり》なす額髮《ひたひがみ》を近々《ちか/″\》と、面《おも》ほてりのするまで、じり/\と情熱《じやうねつ》の呼吸《いき》を通《かよ》はす。緩《ゆる》い流《ながれ》は浮草《うきぐさ》の帶《おび》を解《と》いた。私《わたし》の
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