《にんき》が立《た》つ。すなはち同行《どうかう》の雪岱《せつたい》さんを、今《いま》まで祕《かく》しておいた所以《ゆゑん》である。
私《わたし》は踏《ふ》んだ石《いし》の、崖《がけ》を崩《くづ》れかゝつたのを、且《か》つ視《み》て苦笑《くせう》した。餘《あま》りの不状《ぶざま》に、娘《むすめ》の方《はう》が、優《やさし》い顏《かほ》をぽつと目瞼《まぶた》に色《いろ》を染《そ》め、膝《ひざ》まで卷《ま》いて友禪《いうぜん》に、ふくら脛《はぎ》の雪《ゆき》を合《あ》はせて、紅絹《もみ》の影《かげ》を流《ながれ》に散《ち》らして立《た》つた。
さるにても、按摩《あんま》の笛《ふえ》の杜鵑《ほとゝぎす》に、拔《ぬ》かしもすべき腰《こし》を、娘《むすめ》の色《いろ》に落《お》ちようとした。私《わたし》は羞《は》ぢ且《か》つ自《みづか》ら憤《いきどほ》つて酒《さけ》を煽《あふ》つた。――なほ志《こゝろざ》す出雲路《いづもぢ》を、其日《そのひ》は松江《まつえ》まで行《ゆ》くつもりの汽車《きしや》には、まだ時間《じかん》がある。私《わたし》は、もう一度《いちど》宿《やど》を出《で》た。
すぐ前《まへ》なる橋《はし》の上《うへ》に、頬被《ほゝかぶり》した山家《やまが》の年増《としま》が、苞《つと》を開《ひら》いて、一人《ひとり》行《ゆ》く人《ひと》のあとを通《とほ》つた、私《わたし》を呼《よ》んで、手《て》を擧《あ》げて、「大《おほき》な自然薯《じねんじよ》買《か》うておくれなはらんかいなア。」……はおもしろい。朝《あさ》まだきは、旅館《りよくわん》の中庭《なかには》の其處《そこ》此處《こゝ》を、「大《おほ》きな夏蜜柑《なつみかん》買《か》はんせい。」……親仁《おやぢ》の呼聲《よびごゑ》を寢《ね》ながら聞《き》いた。働《はたら》く人《ひと》の賣聲《うりごゑ》を、打興《うちきよう》ずるは失禮《しつれい》だが、旅人《たびびと》の耳《みゝ》には唄《うた》である。
漲《みなぎ》るばかり日《ひ》の光《ひかり》を吸《す》つて、然《しか》も輕《かる》い、川添《かはぞひ》の道《みち》を二町《にちやう》ばかりして、白《しろ》い橋《はし》の見《み》えたのが停車場《ていしやば》から突通《つきとほ》しの處《ところ》であつた。橋《はし》の詰《つめ》に、――丹後行《たんごゆき》、舞鶴行《まひづるゆき》―
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