が、一面《いちめん》の雜草《ざつさう》で、遠《とほ》くに小《ちひ》さく、壞《こは》れた四阿《あづまや》らしいものの屋根《やね》が見《み》える。日《ひ》に水《みづ》の影《かげ》もさゝぬのに、其《そ》の四阿《あづまや》をさがりに、二三輪《にさんりん》、眞紫《まむらさき》の菖蒲《あやめ》が大《おほき》くぱつと咲《さ》いて、縋《すが》つたやうに、倒《たふ》れかゝつた竹《たけ》の棹《さを》も、池《いけ》に小船《こぶね》に棹《さをさ》したやうに面影《おもかげ》に立《た》つたのである。
此《こ》の時《とき》の旅《たび》に、色彩《いろ》を刻《きざ》んで忘《わす》れないのは、武庫川《むこがは》を過《す》ぎた生瀬《なませ》の停車場《ていしやぢやう》近《ちか》く、向《むか》う上《あが》りの徑《こみち》に、じり/\と蕊《しん》に香《にほひ》を立《た》てて咲揃《さきそろ》つた眞晝《まひる》の芍藥《しやくやく》と、横雲《よこぐも》を眞黒《まつくろ》に、嶺《みね》が颯《さつ》と暗《くら》かつた、夜久野《やくの》の山《やま》の薄墨《うすずみ》の窓《まど》近《ちか》く、草《くさ》に咲《さ》いた姫薊《ひめあざみ》の紅《くれなゐ》と、――此《こ》の菖蒲《しやうぶ》の紫《むらさき》であつた。
ながめて居《ゐ》る目《め》が、やがて心《こゝろ》まで、うつろに成《な》つて、あツと思《おも》ふ、つい目《め》さきに、又《また》うつくしいものを見《み》た。丁《ちやう》ど瞳《ひとみ》を離《はな》して、あとへ一歩《ひとあし》振向《ふりむ》いた處《ところ》が、川《かは》の瀬《せ》の曲角《まがりかど》で、やゝ高《たか》い向岸《むかうぎし》の、崖《がけ》の家《うち》の裏口《うらぐち》から、巖《いは》を削《けづ》れる状《さま》の石段《いしだん》五六段《ごろくだん》を下《お》りた汀《みぎは》に、洗濯《せんたく》ものをして居《ゐ》た娘《むすめ》が、恰《あたか》もほつれ毛《げ》を掻《か》くとて、すんなりと上《あ》げた眞白《まつしろ》な腕《うで》の空《そら》ざまなのが睫毛《まつげ》を掠《かす》めたのである。
ぐらり、がたがたん。
「あぶない。」
「いや、これは。」
すんでの處《ところ》。――落《お》つこちるのでも、身投《みなげ》でも、はつと抱《だ》きとめる救手《すくひて》は、何《なん》でも不意《ふい》に出《で》る方《はう》が人氣
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