に似た、饅頭形《まんじゅうがた》の黄なる帽子を頂き、袖なしの羽織を、ほかりと着込んで、腰に毛巾着《けぎんちゃく》を覗《のぞ》かせた……片手に網のついた畚《びく》を下げ、じんじん端折《ばしょり》の古足袋に、藁草履《わらぞうり》を穿《は》いている。
「少々、ものを伺います。」
ゆるい、はけ水の小流《こながれ》の、一段ちょろちょろと落口を差覗いて、その翁の、また一息|憩《やす》ろうた杖に寄って、私は言った。
翁は、頭《ず》なりに黄帽子を仰向《あおむ》け、髯《ひげ》のない円顔の、鼻の皺《しわ》深く、すぐにむぐむぐと、日向《ひなた》に白い唇を動かして、
「このの、私《わし》がいま来た、この縦筋を真直《まっす》ぐに、ずいずいと行かっしゃると、松原について畑を横に曲る処があるでの。……それをどこまでも行かせると、沼があっての。その、すぼんだ処に、土橋が一つ架《かか》っているわい。――それそれ、この見当じゃ。」
と、引立てるように、片手で杖を上げて、釣竿《つりざお》を撓《た》めるがごとく松の梢《こずえ》をさした。
「じゃがの。」
と頭《かぶり》を緩く横に掉《ふ》って、
「それをば渡ってはなりませぬぞ。(と強く言って)……渡らずと、橋の詰《つめ》をの、ちと後《あと》へ戻るようなれど、左へ取って、小高い処を上《あが》らっしゃれ。そこが尋ねる実盛塚《さねもりづか》じゃわいやい。」
と杖を直す。
安宅《あたか》の関の古蹟とともに、実盛塚は名所と聞く。……が、私は今それをたずねるのではなかった。道すがら、既に路傍《みちばた》の松山を二処《ふたとこ》ばかり探したが、浪路がいじらしいほど気を揉《も》むばかりで、茸も松露も、似た形さえなかったので、獲ものを人に問うもおかしいが、且《かつ》は所在なさに、連《つれ》をさし置いて、いきなり声を掛けたのであったが。
「いいえ、実盛塚へは――行こうかどうしようかと思っているので、……実はおたずね申しましたのは。」
「ほん、ほん、それでは、これじゃろうの。」
と片手の畚を動かすと、ひたひたと音がして、ひらりと腹を飜《かえ》した魚《うお》の金色《こんじき》の鱗《うろこ》が光った。
「見事な鯉《こい》ですね。」
「いやいや、これは鮒《ふな》じゃわい。さて鮒じゃがの……姉《あね》さんと連立たっせえた、こなたの様子で見ればや。」
と鼻の下を伸《のば》して、にやりとした。
思わず、その言《ことば》に連れて振返ると、つれの浪路は、尾花で姿を隠すように、私の外套で顔を横に蔽《おお》いながら、髪をうつむけになっていた。湖の小波《さざなみ》が誘うように、雪なす足の指の、ぶるぶると震えるのが見えて、肩も袖も、その尾花に靡《なび》く。……手につまさぐるのは、真紅の茨《いばら》の実で、その連《つらな》る紅玉《ルビィ》が、手首に珊瑚《さんご》の珠数《じゅず》に見えた。
「ほん、ほん。こなたは、これ。(や、爺《じじ》い……その鮒をば俺に譲れ。)と、姉《ねえ》さんと二人して、潟に放いて、放生会《ほうじょうえ》をさっしゃりたそうな人相じゃがいの、ほん、ほん。おはは。」
と笑いながら、ちょろちょろ滝に、畚をぼちゃんとつけると、背を黒く鮒が躍って、水音とともに鰭《ひれ》が鳴った。
「憂慮《きづかい》をさっしゃるな。割《さ》いて爺《じい》の口に啖《くら》おうではない。――これは稲荷殿《いなりでん》へお供物に献ずるじゃ。お目に掛けましての上は、水に放すわいやい。」
と寄せた杖が肩を抽《ぬ》いて、背を円く流《ながれ》を覗いた。
「この魚《うお》は強いぞ。……心配をさっしゃるな。」
「お爺さん、失礼ですが、水と山と違いました。」
私も笑った。
「茸だの、松露だのをちっとばかり取りたいのですが、霜こしなんぞは、どの辺にあるでしょう。御存じはありませんか。」
「ほん、ほん。」
と黄饅頭を、点頭のままに動かして、
「茸――松露――それなら探さねば爺にかて分らぬがいやい。おはは、姉さんは土地の人じゃ。若いぱっちりとした目は、爺などより明《あきら》かじゃ。よう探いてもらわっしゃい。」
「これはお隙《ひま》づいえ、失礼しました。」
「いや、何の嵩高《かさだか》な……」
「御免。」
「静《しずか》にござれい。――よう遊べ。」
「どうかしたか、――姉さん、どうした。」
「ああ、可恐《こわ》い。……勿体ないようで、ありがたいようで、ああ、可恐《こお》うございましたわ。」
「…………」
「いまのは、山のお稲荷様か、潟の竜神様でおいでなさいましょう。風のない、うららかな、こんな時にはな、よくこの辺をおあるきなさいますそうですから。」
いま畚を引上げた、水の音はまだ響くのに、翁は、太郎虫、米搗虫の靄《もや》のあなたに、影になって、のびあがると、日南《ひなた》の背《せな》も、もう見えぬ。
「しかし、様子は、霜こしの黄茸《きだけ》が化けて出たようだったぜ。」
「あれ、もったいない。……旦那さん、あなた……」
五
「わ、何じゃい、これは。」
「霜こし、黄い茸《たけ》。……あはは、こんなばば蕈《きのこ》を、何の事じゃい。」
「何が松露や。ほれ、こりゃ、破ると、中が真黒《まっくろ》けで、うじゃうじゃと蛆《うじ》のような筋のある(狐の睾丸《がりま》)じゃがいの。」
「旦那、眉毛に唾《つば》なとつけっしゃれい。」
「えろう、女狐に魅《つま》まれたなあ。」
「これ、この合羽占地茸《かっぱしめじ》はな、野郎の鼻毛が伸びたのじゃぞいな。」
戻道。橋で、ぐるりと私たちを取巻いたのは、あまのじゃくを訛《なま》ったか、「じゃあま。」と言い、「おんじゃ。」と称《とな》え、「阿婆《あばあ》。」と呼ばるる、浜方|屈竟《くっきょう》の阿婆摺媽々《あばずれかかあ》。町を一なめにする魚売の阿媽徒《おっかあてあい》で。朝商売《あさあきない》の帰りがけ、荷も天秤棒も、腰とともに大胯《おおまた》に振って来た三人づれが、蘆の横川にかかったその橋で、私の提げた笊《ざる》に集《たか》って、口々に喚《わめ》いて囃《はや》した。そのあるものは霜こしを指でつついた。あるものは松露をへし破《わ》って、チェッと言って水に棄てた。
「ほれ、ほんとうの霜こしを見さっしゃい。これじゃがいの。」
と尻とともに天秤棒を引傾《ひっかた》げて、私の目の前に揺り出した。成程違う。
「松露とは、ちょっと、こんなものじゃ。」
と上荷の笊を、一人が敲《たた》いて、
「ぼんとして、ぷんと、それ、香《こうば》しかろ。」
成程違う。
「私が方には、ほりたての芋が残った。旦那が見たら蛸《たこ》じゃろね。」
「背中を一つ、ぶん撲《なぐ》って進じようか。」
「ばば茸《たけ》持って、おお穢《むさ》や。」
「それを食べたら、肥料桶《こえおけ》が、早桶になって即死じゃぞの、ぺッぺッぺッ。」
私は茫然《ぼうぜん》とした。
浪路は、と見ると、悄然《しょうぜん》と身をすぼめて首垂《うなだ》るる。
ああ、きみたち、阿媽《おっかあ》、しばらく!……
いかにも、唯今《ただいま》申さるる通り、較《くら》べては、玉と石で、まるで違う。が、似て非なるにせよ、毒にせよ。これをさえ手に狩るまでの、ここに連れだつ、この優しい女の心づかいを知ってるか。
――あれから菜畑を縫いながら、更に松山の松の中へ入ったが、山に山を重ね、砂に砂、窪地の谷を渡っても、余りきれいで……たまたま落ちこぼれた松葉のほかには、散敷いた木《こ》の葉もなかった。
この浪路が、気をつかい、心を尽した事は言うまでもなかろう。
阿媽、これを知ってるか。
たちまち、口紅のこぼれたように、小さな紅茸《べにたけ》を、私が見つけて、それさえ嬉しくって取ろうとするのを、遮って留めながら、浪路が松の根に気も萎《な》えた、袖褄《そでつま》をついて坐った時、あせった頬は汗ばんで、その頸脚《えりあし》のみ、たださしのべて、討たるるように白かった。
阿媽、それを知ってるか。
薄色の桃色の、その一つの紅茸を、灯《ともしび》のごとく膝の前に据えながら、袖を合せて合掌して、「小松山さん、山の神さん、どうぞ茸《きのこ》を頂戴な。下さいな。」と、やさしく、あどけない声して言った。
[#ここから3字下げ]
「小松山さん、山の神さん、
どうぞ、茸を頂戴な。
下さいな。――」
[#ここで字下げ終わり]
真の心は、そのままに唄である。
私もつり込まれて、低声《こごえ》で唄った。
「ああ、ありました。」
「おお、あった。あった。」
ふと見つけたのは、ただ一本、スッと生えた、侏儒《いっすんぼし》が渋蛇目傘《しぶじゃのめ》を半びらきにしたような、洒落《しゃれ》ものの茸であった。
「旦那さん、早く、あなた、ここへ、ここへ。」
「や、先刻見た、かっぱだね。かっぱ占地茸……」
「一つですから、一本占地茸とも言いますの。」
まず、枯松葉を笊に敷いて、根をソッと抜いて据えたのである。
続いて、霜こしの黄茸を見つけた――その時の歓喜を思え。――真打だ。本望だ。
「山の神さんが下さいました。」
浪路はふたたび手を合した。
「嬉しく頂戴をいたします。」
私も山に一礼した。
さて一つ見つかると、あとは女郎花《おみなえし》の枝ながらに、根をつらねて黄色に敷く、泡のようなの、針のさきほどのも交《まじ》った。松の小枝を拾って掘った。尖《さき》はとがらないでも、砂地だからよく抜ける。
「松露よ、松露よ、――旦那さん。」
「素晴しいぞ。」
むくりと砂を吹く、飯蛸《いいだこ》の乾《から》びた天窓《あたま》ほどなのを掻くと、砂を被《かぶ》って、ふらふらと足のようなものがついて取れる。頭をたたいて、
「飯蛸より、これは、海月《くらげ》に似ている、山の海月だね。」
「ほんになあ。」
じゃあま、あばあ、阿媽《おっかあ》が、いま、(狐の睾丸《がりま》)ぞと詈《ののし》ったのはそれである。
が、待て――蕈狩《たけがり》、松露取は闌《たけなわ》の興に入《い》った。
浪路は、あちこち枝を潜《くぐ》った。松を飛んだ、白鷺《しらさぎ》の首か、脛《はぎ》も見え、山鳥の翼の袖も舞った。小鳥のように声を立てた。
砂山の波が重《かさな》り重って、余りに二人のほかに人がない。――私はなぜかゾッとした。あの、翼、あの、帯が、ふとかかる時、色鳥とあやまられて、鉄砲で撃たれはしまいか。――今朝も潜水夫のごときしたたかな扮装《いでたち》して、宿を出た銃猟家《てっぽううち》を四五人も見たものを。
遠くに、黒い島の浮いたように、脱ぎすてた外套《がいとう》を、葉越に、枝越に透《すか》して見つけて、「浪路さん――姉さん――」と、昔の恋に、声がくもった。――姿を見失ったその人を、呼んで、やがて、莞爾《にっこり》した顔を見た時は、恋人にめぐり逢った、世にも嬉しさを知ったのである。
阿婆《おばば》、これを知ってるか。
無理に外套に掛けさせて、私も憩った。
着崩れた二子織《ふたこ》の胸は、血を包んで、羽二重よりも滑《なめらか》である。
湖の色は、あお空と、松山の翠《みどり》の中に朗《ほがらか》に沁《し》み通った。
もとのように、就中《なかんずく》遥《はるか》に離れた汀《みぎわ》について行く船は、二|艘《そう》、前後に帆を掛けて辷《すべ》ったが、その帆は、紫に見え、紅《あか》く見えて、そして浪路の襟に映り、肌を染めた。渡鳥がチチと囀《さえず》った。
「あれ、小松山の神さんが。」
や、や、いかに阿媽《おっかあ》たち、――この趣を知ってるか。――
「旦那、眉毛を濡らさんかねえ。」
「この狐。」
と一人が、浪路の帯を突きざまに行き抜けると、
「浜でも何人抜かれたやら。」一人がつづいて頤《あご》で掬《すく》った。
「また出て、魅《ばか》しくさるずらえ。」
「真昼間《まっぴるま》だけでも遠慮せいてや。」
「女《め》の狐の癖にして、睾丸《がりま》をつかませたは可笑《おかし》なや、あはははは。」
「そこが化けたのや。」
「おお、可恐《こわ》やの。」
前へ
次へ
全4ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング