「やあ、旦那、松露なと、黄茸なと、ほんものを売ってやろかね。」
「たかい銭《おあし》で買わっせえ。」
行過ぎたのが、菜畑越に、縺《もつ》れるように、一斉《いっとき》に顔を重ねて振返った。三面|六臂《ろっぴ》の夜叉《やしゃ》に似て、中にはおはぐろの口を張ったのがある。手足を振って、真黒《まっくろ》に喚《わめ》いて行く。
消入りそうなを、背を抱いて引留めないばかりに、ひしと寄った。我が肩するる婦《おんな》の髪に、櫛《くし》もささない前髪に、上手がさして飾ったように、松葉が一葉、青々としかも婀娜《あだ》に斜《はす》にささって、(前こぞう)とか言う簪《かんざし》の風情そのままなのを、不思議に見た。茸《たけ》を狩るうち、松山の松がこぼれて、奇蹟のごとく、おのずから挿さったのである。
「ああ、嬉しい事がある。姉さん、茸が違っても何でも構わない。今日中のいいものが手に入ったよ――顔をお見せ。」
袖でかくすを、
「いや、前髪をよくお見せ。――ちょっと手を触って、当てて御覧、大したものだ。」
「ええ。」
ソッと抜くと、掌《たなそこ》に軽くのる。私の名に、もし松があらば、げにそのままの刺青《いれずみ》である。
「素晴らしい簪《かんざし》じゃあないか。前髪にささって、その、容子《ようす》のいい事と言ったら。」
涙が、その松葉に玉を添えて、
「旦那さん――堪忍して……あの道々、あなたがお幼《ちいさ》い時のお話もうかがいます。――真のあなたのお頼みですのに、どうぞしてと思っても、一つだって見つかりません……嘘と知っていて、そんな茸をあげました。余り欲しゅうございましたので、私にも、私にかってほんとうの茸に見えたんですもの。……お恥かしい身体《からだ》ですが、お言《ことば》のまま、あの、お宿までもお供して……もしその茸をめしあがるんなら、きっとお毒味を先へして、血を吐くつもりでおりました。生命《いのち》がけでだましました。……堪忍して下さいまし。」
「何を言うんだ、飛んでもない。――さ、ちょっと、自分の手でその松葉をさして御覧。……それは容子が何とも言えない、よく似合う。よ。頼むから。」
と、かさに掛《かか》って、勢《いきおい》よくは言いながら、胸が迫って声が途切れた。
「後生だから。」
「はい、……あの、こうでございますか。」
「上手だ。自分でも髪を結えるね。ああ、よく似合う。さあ、見て御覧。何だ、袖に映したって、映るものかね。ここは引汐《ひきしお》か、水が動く。――こっちが可《い》い。あの松影の澄んだ処が。」
「ああ、御免なさい。堪忍して……映すと狐になりますから。」
「私が請合う、大丈夫だ。」
「まあ。」
「ね、そのままの細い翡翠《ひすい》じゃあないか。琅※[#「王+干」、第3水準1−87−83]《ろうかん》の珠《たま》だよ。――小松山の神さんか、竜神が、姉さんへのたまものなんだよ。」
ここにも飛交う螽《いなご》の翠《みどり》に。――
「いや、松葉が光る、白金《プラチナ》に相違ない。」
「ええ。旦那さんのお情《なさけ》は、翡翠です、白金です……でも、私はだんだんに、……あれ、口が裂けて。」
「ええ。」
「目が釣上って……」
「馬鹿な事を。――蕈《きのこ》で嘘を吐《つ》いたのが狐なら、松葉でだました私は狸だ。――狸だ。……」
と言って、真白《まっしろ》な手を取った。
湖つづき蘆中《あしなか》の静《しずか》な川を、ぬしのない小船が流れた。
[#地から1字上げ]大正十三(一九二四)年一月
底本:「泉鏡花集成7」ちくま文庫、筑摩書房
1995(平成7)年12月4日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第二十二巻」岩波書店
1940(昭和15)年11月20日第1刷発行
入力:門田裕志
校正:今井忠夫
2003年8月31日作成
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